日本ではいまだに「勉強して努力をすればかならず幸せになれる」という考えが、メディアを通して流布されている。しかし現実として、勉強(努力)と収入はかならずしも比例しない。
とくに重要なのが、「コモディティ(commodity)にならない」という視点だ。経済学においてコモディティとは、「スペックが明確に定義できるもの」のことを指し、市場に出回っている商品が個性を失い、消費者から見たときに個性が感じられないような状態を「コモディティ化」と呼ぶ。
たとえどんなに優れていたとしても、スペックが明確に定義できて、同じ商品を売る人が複数いれば、その商品はコモディティとなってしまう。それは商品だけでなく、人材の評価においても同じである。
これまでの「人材マーケット」では、資格などの客観的に測定できる指標が重視されていた。しかしそうした数字が同じであれば、企業はより安く雇えるほうを選ぶに決まっている。つまり資格や点数で自分を差別化しようとすることは、コモディティ化された人材になるということであり、最終的には「安いことが売り」という人材にならざるを得ないのだ。
こうしたコモディティ化現象は、世界のあらゆる産業で見られる。その潮流から逃れることは、現代社会に生きているかぎり、誰にもできない。だからこそこれからは企業においても個人においても、「コモディティにならないようにすること」が重要なのである。
コモディティ化の潮流から逃れるには、勉強時間を増やすとか、スキルや資格を身につけるといった努力をするのではなく、「スペシャリティ(specialty)」になるしかない。スペシャリティはコモディティの対極に位置し、「ほかの人には代えられない、唯一の人物(とその仕事)」「ほかの物では代替することができない、唯一の物」を意味する。
スペシャリティになるために必要なのは、これまでの枠組みの中で努力するのではなく、資本主義におけるルールを理解したうえで、なにがコモディティとスペシャリティを分けるのか、しっかり理解することだ。その理解がなければ、どれだけハイスペックなモノやサービスを生産しても、コモディティにとどまってしまい、高い賃金を稼ぐことはできないだろう。
戦後の日本は、資本主義国家でありながら「世界で唯一、もっとも成功した社会主義の国」と言われてきた。政府が主導するかたちでの経済発展が、長いあいだ続いたからだ。しかし経済のグローバル化にともない、日本も激しい国際競争に巻き込まれることになり、世界中の人々と市場で競争する「本物の資本主義国家」にならざるを得なくなった。
資本主義は社会主義などの計画経済と異なり、「頭のいい人がすべてを決めるのは無理」という考えに立脚している。計画経済においては「500円の商品は全員500円で買うべき」とされるが、資本主義では市場で500円で売られているものを、「自分なら400円で作れる」と思ったならば、作って売る権利がある。こうして結果的に価格はどんどん下がり、逆に品質はどんどん向上していく。
こうしたスパイラルを繰り返すことで、世の中が進歩する――これが資本主義の考え方だ。資本主義というシステムがすぐれているのは、
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