ブラジルは、国際コーヒー機関が掲げるコーヒーの五大生産国の中で、最も生産量が多い国だ。しかし、ブラジル産コーヒー豆の評判は良いとは言えず、ブラジルの生産者たちは質より量に力を入れていると言われてきた。1960年代に、政府が市場のニーズを満たすための低価格と固定生産量確保を推し進めた結果、質の良い豆を悪いものに混ぜて生産量を確保していたからだ。とはいえ、近年はこのブラジル産コーヒーに対する偏見も少しずつ払しょくできるようになってきたと著者はいう。
ブラジルのコーヒー栽培者、マルコス・クロシェは、ブラジルだけでなく海外をも周り、サステナブルなコーヒー栽培について伝えている。同行しているのは、息子のフェリペだ。彼ら2人が本書の主要登場人物となっている。
マルコスと妻シゥヴィアがアメリカに移住したのは、1991年のことだ。当初は貿易業を営んでいたマルコスだが、1998年に友人から自然保護団体の役員へ誘われたことをきっかけに、自然や環境への多様性について意識を高めることとなる。「金は稼いでいたけれども、それはただの物質だ。人間が本当に必要としないものだ」と語るマルコスは、2001年にシゥヴィアの父が他界すると、ブラジルに戻ることを決めた。
シゥヴィアは、父の農場を相続してコーヒー農場をやろうというマルコスの提案に対し、オーガニック栽培を条件とした。そして彼女は、農場を運営するルールとして、自然に優しい農法であることと経済的に自立できる農園であることを挙げた。
息子のフェリペは、大学時代の教員がコーヒーにこだわりを持つ人物であったことから、コーヒーに興味を持つようになる。当時、マルコスの農場は、オーガニック栽培への転換の中で費用がかさんでいただけでなく、生産量が80%も低下していた。マルコスはアメリカでの事業を継続しながらブラジルの農場を経営していたため、フェリペは大学を休学してブラジルへ引っ越し、五代目の農場主になるという大きな決断を下すこととなった。さらに、マルコスがコーヒー豆の輸出業を行っていたことから、クロシェ家はコーヒーを輸出するためのコメクイドリ・コーヒー(Bob-O-Link Coffee)というネットワークを築いた。
クロシェ家が経営するファゼンダ・アンビエンタル・フォルタレザ農場(FAF農場)は、ブラジルのサンパウロ州にある。マルコスは農場を引き継ぐと、農場を審査する認証団体のアドバイスに従い、化学肥料なしで作物を育てるためにさまざまな設備投資を行ったが、あまり効果はなかった。困ったマルコスは、近所に住むジョン・ロコに助けを求めた。
そしてジョン・ロコから、すべての農作業を停止して農場を観察するようにという指示を受けた。
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