本書の主人公は、前著『天才を殺す凡人』に登場した上納アンナ(以下、アンナ)。天才起業家として活躍していた彼女が、自分の会社を追われ、冴えない表情で街を歩くシーンから、ストーリーがはじまる。自分が愛した仕事から不要だという烙印を押され、岐路に立たされたアンナ。意味があると信じてきたものは全て幻想だったのだろうか。
アンナは、かつて無名だったアンナを見出し、初めて投資をした白石徹のもとを訪れる。白石は「君が会うべき人がいる」と、経営コンサルタントの黒岩仁を紹介する。アンナが愛ある革命家、偉大なリーダーへと成長・成熟するために何が必要なのか。黒岩との会話のなかで、アンナは復活を遂げるために大事なものを学んでいく。本要約では、そのポイントを抽出して紹介する。
社会のビジネスフィールドには、3種類のメインプレーヤーが存在する。それは起業家(発明家)、投資家、そして戦略家である。この3つは職業としての側面もあるが、根本的な人間の特性ともとらえられる。
起業家は新たな価値を信じて、ゼロから何かを生み出す存在である。その役割は、未来から現在へエネルギーをもってくることだ。では投資家や戦略家の役割はどのようなものか。戦略家は目標に行きつくまでの知恵とリーダーシップを提供する。これに対し、投資家は知恵とリーダーシップの代わりに金を出す。この両者はキャリアの途中で「時を待つ」ことを覚えていく。
優れた経営者は、未来へ向かう起業家としての側面だけではなく、膨大な時間を待つことができる戦略家と投資家の側面も求められるのだ。
旅に出るとき、私たちは地図を頼りにする。地図の本質とは広さと距離であり、目的地に到着するまでどれくらいの時間がかかり、その場所がどれほど広いかを伝えてくれるものだ。これは「物理的な地図」の話だが、「認識の地図」についてはどうだろうか。
地図とは本来、私たちの世界には存在しない絵にすぎない。私たちは普段、「主観」でのみ物事を認識し、世界を切り取っている。一方で、地図を見ることは第三者の視点から世界を見つめること、つまり「客観」の立場に立つことになる。
現代は、人類史上もっとも主観と客観が離れた時代である。膨大な情報が行き交う中で、人は見たい世界だけを選択できるようになった。その一方で、世界はどんどん客観的な地図を整え、完璧な地図をつくれるようになっている。
人にとって重要なのは客観よりも主観だ。しかし、偉大なリーダーは、主観や客観を超えた「認識の世界を繋ぐもの」でなければならない。
テクノロジーや社会制度は、中世や近世に比べればはるかによくなっている。にもかかわらず、主観と客観が離れすぎているために、断絶を感じてしまう。それゆえ現代社会は、格差が広がり、分断されているように見える。その断絶を繋ぐことが、偉大なリーダーに求められる役割なのだ。
認識の地図の中で、世界は「4つの国」に分けられる。まずは技術と変化の「西の国」。アメリカでいうシリコンバレーのような革新派の集まりで、最先端のものを生み出していく。
その「西の国」と対立することが多いのは、「東の国」だ。これはニューヨークのような金融街であり、保守的で、経済や組織に重点を置く。
その間で、中立的な立場をとるのが「中部」だ。この国は法律をつくる立場にあり、国家や公益を重視し、新しいものと古いものとの間で全体最適を考える。アメリカではワシントンD.Cに近い。
最後に挙げるのは「南部」だ。この国は共感できるものを好み、生活や家族を大切にする。彼らの価値基準は生活の満足・不満足にある。
この4つの国には最適なバランスがある。それを理解しながら4者を繋ぐことができる存在を、「偉大なリーダー」と呼ぶ。もし世界が3000万人超えの人口であれば、各国の人口バランスはおおよそ次のようになる。西の国に30万人、中部に60万人、東の国に300万人、南部に3000万人だ。
この4つの国の比喩から、2つのことを学ぶことができる。1つは「自分の世界が絶対ではないこと」。もう1つは「4つの国の違いは、役割の違いでしかないこと」である。それを認識していなければ、4つの国の国民はたちまち「4つの大病」にかかってしまうだろう。
4つの病とは何なのか。まず、西の国の人たちがかかりやすい病は、エジソンの罠という。病人は「分断を生むエジソン」と呼ばれる。
発明家は、好奇心にすべてを捧げ、非常に速い速度で物事を進める。それにより、世界に大きな分断を生んでしまうことがあるのだ。
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