3月のある日、鏑木健一(以下、鏑木)が出勤すると、すぐに上司の片山部長に呼ばれた。朝一番の呼び出しがいい話だったためしがない。鏑木が最後に支店長を勤めた金沢銀行桜町支店は今年の1月に成績不振で閉店していた。出向の辞令を待つ身であった鏑木には、話の内容の察しがついていたのだ。
予想通り、言い渡された辞令は、専務としてクイーンズブックスという書店に出向するという内容だった。創業者が病気で急逝し、その妻が継いだ、5期連続赤字の書店である。
片山部長は、鏑木が金沢銀行の業績改善に貢献する方法として、2つの選択肢を提示した。まず、クイーンズブックスへの過剰貸付の回収だ。店舗の閉鎖、人員の大幅削減、資産の処分などを行い、貸付金を返済させる。
もうひとつは、経営の抜本的な改革だ。金沢銀行では、クイーンズブックスを貸付先として「破綻懸念先」で区分している。貸付金は「貸し倒れ引当金」として、既に経費として計上されている。売上も収益も伸ばせるようになれば、「破綻懸念先」から「正常先」に区分が変わり、「貸し倒れ引当金」の経費計上が不要になる。もちろん片山部長は、「強引に一気に行う資産の処分の方が、いろいろあっても簡単だよ」と付け加えるのを忘れなかった。
クイーンズブックスの決算書は、目を覆うばかりの内容だった。経費がコントロールされていない上に、借入金が多く、債務超過寸前だ。売上増のための新たな取り組みもない。「破綻懸念先」に区分されて当然だった。
しかも出版不況の今、書店の未来が明るいとは言い難い。「私はこの本屋と、どう向き合ってゆくことになるのだろうか……?」。鏑木の頭によぎるのは、不安ばかりである。
初出勤の鏑木を、黒木社長が出迎えた。経理部の坂出部長や事務員たちは、歓迎どころか、明らかに警戒の色を示している。
初出勤の夜、鏑木の歓迎懇親会が開かれた。鏑木はそこに集まった全6店舗の店長たちに、『社会人の基礎知識』という小冊子を配布した。企業会計やマーケティングに関する基本知識をまとめた、オリジナルのものだ。
「一つずつ、一緒に勉強していきましょう。この知識は、経営再建には必要な知識だと思っています」と語りかける鏑木専務に、本店の西田店長は「書類を読んで売上がよくなるんだったら、みんなとっくにやってますよ」「私たちには書類でお勉強している暇なんかないんですから!」と猛反発する。鏑木も負けじと言い返し、歓迎会の場は凍り付いた。
自分は、経営陣どころか、店長たちにも歓迎されていない。大リストラで一気に債権回収したほうが楽なのかもしれない――そんな思いが、鏑木の頭をよぎるのだった。
鏑木は黒木社長に、決算書に基づいた会社の現状の説明を求めた。しかし黒木社長は、悪びれることなく、決算書のことは分からない、坂出部長と税理士に任せていると答えた。そんな黒木社長に対し、鏑木は「決算書が分からなくて、会社の経営をしてはいけません」と説くのだった。
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