1971年のある日、西ドイツの州立図書館の一室で、著者は資料の中に<鼠捕り男>という言葉を見つけた。それは、東プロイセンのクルケン村には鼠捕り男の伝説が残されているというものだった。その概要は次のとおりだ。
ある男が粉ひきのところに職を求めに来たが、冷淡にあしらわれたため、大量の鼠を粉ひきの小屋に送り込んだ。粉ひきは泣かんばかりに謝った。すると男は、近くにある湖の氷に穴をあけて、そこに大量の鼠を導いて溺れさせた。
著者はさらに、自身が研究していたザクセン地方に、<ハーメルンの笛吹き男>にひき連れられた子供たちが入植した可能性があるという記述を発見した。幼い頃におとぎ話<ハーメルンの笛吹き男>を読んだことがあった著者は、他のメルヘンとは一線を画すその生々しさと、単なる事実とは思えない幻想的な雰囲気を覚えていた。そして「この話には何か深い秘密が隠されていそうだ」と感じ、<ハーメルンの笛吹き男>の世界に足を踏み入れることになる。
やがて著者は、130人の子供たちが1284年6月26日にハーメルンの街で行方不明になったという出来事が、単なる伝説ではなく、歴史的事実であると知った。
絵本や教科書に掲載されている<笛吹き男>の話は、主としてグリム兄弟の伝説集(1816)かロバート・ブラウニングの詩『ハーメルンのまだら色の服を着た笛吹き男』(1849)からとられたものだ。
グリムの伝説集の内容は次のようなものである。
1284年、ハーメルンの町に、様々な色の混った布で出来た上衣を着た男が現れた。その格好から、男は「まだら男」と呼ばれていた。男は鼠捕り男を自称し、報酬と引き換えにこの町の鼠を退治してみせると約束した。市民が報酬の支払いを約束すると、男は笛を取りだして吹き鳴らした。すると、すべての家々から鼠が出てきて男に群がった。男はヴェーゼル河に入っていき、男についていった鼠たちは溺れ死んだ。
鼠の災難を免れたにもかかわらず、市民たちは、男への支払いを拒絶した。男は烈しく怒って町を去って行ったが、6月26日(ヨハネとパウロの日)の朝、今度は恐ろしい顔をした狩人のいで立ちで現れた。赤い奇妙な帽子をかぶった男が小路で笛を吹きならすと、今度は少年少女が大勢走り寄ってきて、男のあとをついて行き、山に着くとその男もろとも消え失せた。
この一群に遠くからついていったある子守娘は、町に戻って事態を報告した。消えた子供たちの親はわが子を探し求めたが、すべては徒労に終わる。消え去った子供たちの数は130人であったという。そのうち2人、盲目と啞の子供は後になって戻ってきた。また、ある少年はシャツのまま飛び出したため、上衣を取りに戻ったことで不運を免れた。
著者はグリムの全文を読み、自分がかつて読んだストーリーと異なっている部分があることに気づいた。伝説は、時とともに、庶民の隠された願望や想いによって大きく変容していくものなのだ。
現在知られている<笛吹き男>もしくは<鼠捕り男>伝説のモチーフのすべては、1650年にローマで出版された、自然科学者、アタナシウス・キルヒャーの著書『普遍的音楽技法(ムスルギア・ウニヴェルサーリス)』のなかに記述があった。
この書には、グリムと同じ内容が書かれていたが、何点か相違点もあった。
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