「ほどよい量」で最初に思いつくのは、適正量と適正価格である。高度成長期の大量消費時代は、とうの昔に終わった。いまや「ノンブランド」「シンプル化」「シェア」がキーワードとなっている。それでも、売れた分だけ仕入れたことにする「売上仕入れ」制をとる百貨店や、売れ残った分を生産者に引き取らせるスーパーなど、売り手がリスクを負わない仕組みは根強く残っている。
京都を中心に国産牛のステーキを、ランチ限定100食で提供する「佰食屋(ひゃくしょくや)」は、その逆を行くお店だ。まず、メニューを2〜3に絞り、原材料と人件費以外の部分は徹底してコスト削減をしている。1日ごとに食材を無駄なく使い切るため、冷凍庫さえ置いていない。
伸びてきたスタッフには、新店舗をつくって店長のポジションを任せる。そして、密なコミュニケーションをとれる、ちょうどいい従業員規模感を維持しているのだ。
自然災害により売上が激減した際も、50食売り切っていた経験を活かして、その数字に合わせ、1店舗2人で運営できるオペレーションを構築したという。
売上の最大化ではなく、小規模のオペレーションで、働く時間を減らす方向に知恵を集結させる。そうすることで「佰食屋」は、生産効率の高い、強い商いを実現させているのだ。
そもそも「ほどよい量」とは何か。著者の定義はこうだ。画一的な生産量を柔軟に変化させたり、少量でしか生産できないものを組み合わせてまとまった量にしたりすることで、需給のバランスをとった適正量のことである。
パンと日用品の店「わざわざ」の例を見てみよう。このお店は、最初は自宅の一角を使ってバリエーション豊かなパンを売っていた。しかし、それでは生産側が大変なだけでなく、必要なパンを必要な分だけ届けることも難しい。
そこで、品質のよいパンを二種類だけ、より多く生産することにした。そして、「こっちのほうがおいしいよ」というのを、広報する方向に舵を切った。また、ECサイト含め、日用品の販売においても、スタッフが入念にリサーチし、一年かけて使用感や劣化具合も確かめたものだけを仕入れている。
市場に納得のいくものがなければ、自分でつくる。求める人が多ければ大量生産の仕組みも構築する。このように、「よい」と思うものを、それを求める最大限の人に届けることが、「わざわざ」の「ほどよい量」なのだ。
次は価格の話だ。日本には伝統工芸技術がたくさん残っている。国から補助金が出されているが、競争にさらされないことで、生産額や企業数は減る一方だ。これから商品に求められる価値は、その国、地域にしかない特有の文化かもしれないというのに惜しい状況といえる。
たとえば兵庫県小野市は、鍛冶で栄えた町である。職人の技術には定評があるものの、腕のある職人は70、80代で、後継者が育っていない。高い技術に価値をおいた値付けをせず、低価格のまま。つくり手の儲けが一番少ないシステムとなっていた。
そんななか、デザイン会社の「シーラカンス食堂」は、この刃物全体に「播州刃物」というブランド名を与えた。そして、高級感のある桐箱、わかりやすい説明書きなどを添えた、高価格帯の商品ラインを展開した。いまや海外でも注目されるブランドだ。
それでも、職人の技術が次世代に引き継がれなければ意味がない。そこで、「WORK SHOP」という工房を併設し、試行錯誤を重ねている。鍛冶の仕事を分解して、後継者はプロセスごとに学んでいく。こうして、高度な部分だけを職人に外注した独自商品をつくっている。まさに、少しずつ稼ぎながら鍛錬する仕組みだ。その効果は未知数だが、技術を引き継いでいく可能性があるとして、注目され続けている。
お店に並ぶ既製品を買っていると、誰がどのようにつくっているのかは見えてこない。それゆえ、値段とデザイン以外に購入の決め手を見つけるのが難しい。
そこで、ものづくりや農業の現場では、生産の環境やプロセスを見せ、ときに体験してもらう動きが現れている。オープンファクトリーはその一例だ。ものの成り立ちがわかれば、その価値に対する意識までもが、大きく変化していく。
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