ほとんどのポーランド・ユダヤ人は、各地の小さな市や町に分かれて住んでいて、人口の30パーセント以上、場所によっては80~90パーセントを占めていた。いかにしてドイツ側は、このように広く分散したユダヤ系住民の壊滅を組織し、実行したのだろうか。こうした疑問を追求してゆくなかで、著者はドイツ通常警察の一部隊である、第101警察予備大隊に関する起訴状に巡り合った。
この起訴状には、ホロコーストの遂行者たちが、殺すか殺さないかの個人的決断に直面し、率直に議論している様子が、殺人者たちの人間的な相貌として記されている。多くのナチ殺人部隊とは異なり、第101警察予備大隊の名簿は研究者も利用できた。隊員のほとんどはハンブルク出身であり、その多くは調査時点でまだ生存していたため、500人弱の部隊員のうち210人の尋問調書について研究することができた。また証言のうち約125人分の資料は、この殺人部隊の内的ダイナミクスの分析と詳細な歴史的再構成を、十分可能にさせるものだった。
ドイツ通常警察は、戦間期のドイツにおいて、軍事的に訓練された大警察部隊を編成しようとして生み出された。親衛隊帝国指導者であったハインリヒ・ヒムラーは1936年、警察組織を保安警察、秘密国家警察、刑事警察、通常警察に組織した。
ソ連や東ヨーロッパの占領地において、大量のユダヤ人の射殺や強制移送に警察予備大隊が関与したことは、残された記録文書からも伺い知れる。しかし記録文書は、最終的解決を担った「草の根」の実行者について、多くを語ってくれない。一般庶民からなる草の根の実行者は、現場から遠く離れて大量殺戮の生々しさから逃避できた机上の殺戮者とは異なり、犠牲者の顔を眼前に見ていた。
草の根の人々は、いかにして大量殺戮者になったのだろうか。最初に殺し始めたとき、彼らの所属する部隊に何が起こったのだろうか。もし選択肢が与えられていれば、いかなる決断を下し、いかに反応したのだろうか。
普通の中年のドイツ人が大量虐殺者になっていった背景を明らかにするために、われわれは第101警察予備大隊の物語を読み解く必要がある。
ハンブルクを拠点とする第101警察予備大隊を指揮した53歳のヴィルヘルム・トラップ少佐は、第一次大戦で勲章を授かった経歴を持ち、戦後は警察官として務め、ナチ党の古参でもあった。だが親衛隊的人物としてみなされておらず、周囲から軟弱で軍人らしくない性格という印象をもたれていた。
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