高校1年生の数馬は、夏休みの部活に向かう前のランニングを日課にしている。ある日のランニング中の土手で、数馬は同じ高校の先輩であるシュレという少女に出会う。開口一番で彼女が話題にしたのは、「光の速さはずっと変わらない」ということだった。
光が真空中で1秒間に進む距離は、1983年に秒速2億9979万2458メートルと定義されたが、この速さは科学の進歩によって速度の計測器の精度が上がっても変化しないという。
シュレは光の速さが変わらない理由を数馬に問い、明日の朝、同じ時間に同じ場所で答えを聞かせてほしいと伝えて、立ち去った。混乱する数馬だったが、ランニング後に会うことになっていた物理学者で父親の宗士郎に尋ねてみた。すると、宗士郎は5分では話せないからと、部活終わりに再び会って教えてくれることになった。
部活後、数馬は宗士郎とともに、土手下の砂利道で自転車を使った思考実験を行った。自転車が土手を秒速10メートルで走っているとき、この自転車から秒速10メートルで石を投げるとする。このとき、数馬が自転車に乗った状態で石の速さを測ると、石は前に投げても後ろに投げても速さは変わらず秒速10メートルだ。一方、同じ条件で自転車から投げた石の速さを、今度は地面に立った状態で測るとする。前に投げた場合は、自転車と石の速さを足した秒速20メートルで石は飛び、後ろに投げた場合は、自転車から石の速さを引いた秒速0メートルとなって石は投げた位置に落ちた。
しかし、光の速さはどうだろうか。自転車からLEDライトで前後に光を出した場合、自転車に乗った状態で計測しても、自転車から降りた状態で計測しても、光の速さは変わらないという。これは1887年のアルバート・マイケルソンとエドワード・モーリーの実験によって証明されている。この発見は、「光速不変の原理」と呼ばれる。
翌日、土手で会ったシュレに思考実験の結果を伝えると、シュレは実験結果がおかしいという。光の速さが、地面にいる人から測って秒速2億9979万2458メートルだとすれば、1秒後に光はそこから2億9979万2458メートル離れたところにあるはずだ。しかし、自転車は1秒間で10メートル進んでいる。自転車に乗っている人から測っても光の速さが同じだとしたら、その場合は地面から測った場合よりも10メートル足された距離になっていなければおかしい。数馬はまた翌日に、学校の実験教室にその謎の答えを持ってくるように言われる。
夕方、数馬は再び宗士郎を訪ねる。宗士郎は、「時間は絶対的ではなく、相対的なもの」だと話す。宇宙でボールを投げると、重力や空気の影響を受けないため、まっすぐ同じスピードで飛ぶ。これを等速直線運動という。この等速直線運動を使って、時間が相対的なものであるということを証明できる思考実験がある。
まず、対面する相手から見るとローマ字のCをかたどった形を右手で作り、これを光時計とする。光がCの切れ目である右手の親指から垂直に発されて、もう片方の切れ目である右手の人差し指の腹にくっつくまでの時間を仮に「1ビョン」とする。
この光時計をもった2人の人物が、等速直線運動をしている2つの宇宙船に乗っている。片方の船が「1ビョン」数えながら左から右に水平に動くあいだ、もう片方の船から光時計の動きを見る。すると、動く側の船では光は手のCの間を垂直に上がっていくが、見ている側の船では動く側の船の動きに合わせて左下から右上に斜めに上がるように見える。この斜めの光の軌跡を、見ていたほうの船の「1ビョン」の長さと比べると、4ビョンほどになるとしよう。しかし、動いていたほうの船では1ビョン分の時間しか経っていない。
つまり、自分から相対的に見て、動いている相手の時間は、自分の時間よりも流れる速度が遅くなるのである。
3日目、シュレに呼び出された実験教室で、数馬はシュレをはじめとする科学部の面々に、時間が相対的であることのしくみを披露する。そこにいた科学部の先輩オッカムは、数馬に新たな課題を突き付ける。
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