「適者生存(Survival of the fittest)」という言葉がある。これは、環境に「フィットした」者が生き残るという意味だ。考えてみれば当然のことだが、今生きている私たちは、幼くして“死ななかった”人たちの子孫である。生物にとって最も重要なことは、生き延びて、子孫を残すことだ。人類の身体も脳も、生き延び、子孫を残すようにできているのであって、幸福を感じ、健康に生きるようにできているのではない。私たちの身体と脳は1~2万年程度では大きく変わらない。だから今も、狩猟採集民だったころの環境で生き延びられるようにできている。
「感情」は生存率を上げるためのシステムのひとつだ。例えば、車に轢かれそうになってとっさに後ろに飛びのいたとき、心臓は早鐘のように打ち、恐怖を感じるだろう。それは、視覚や聴覚などから入ってきた刺激から危険を察知すると、扁桃体と呼ばれる脳の部位が体を瞬時に動かし、ストレスホルモンを体内に放出するからだ。感情とは、周囲で起きていることに反応して湧き起こるのではない。生存するための行動を促すために、脳がつくり出しているものにすぎないのだ。
脳は、私たちが起きている間中、絶え間なく感情をつくり出して行動をコントロールしている。例えばバナナが目の前にあれば、脳はそのバナナに含まれるエネルギーと栄養素を分析し、体内の栄養状況を考慮して、取るべき行動を判断する。脳がバナナを食べたほうがよいと判断すれば「空腹」、今は不要と判断すれば「満腹」という感情がつくり出され、適切な行動が促される。
現代のキッチンでも25万年前のバナナの木の下でも瞬時に同様の分析がされている。ひとつ違うのは、判断ミスをしたときに、死につながるリスクは25万年前のほうが高かったということだ。勇気を出しすぎてバナナをとるために危険な木登りをすればいつか転落死するだろうし、慎重になるあまり危ないことをまったくしなければ飢え死にしてしまう。生存と生殖のために「正しく」自分の感情に導いてもらえた私たちの祖先だけが、生き残ることができた。言い換えれば、感情は生存率を上げるために無慈悲な取捨選択にさらされてきたのだ。
幸福が永遠ではないのはこのためだ。バナナを食べれば空腹が満たされ、幸福感が湧いてくる。だが、感情は生存する「正しい」行動を促すためのシステムなのだから、永遠に幸福感が続けば食べ物を探すモチベーションが下がってしまう。私たちが永続的に幸福を感じ続けることができないのはこのためだ。
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