スイス国立銀行(SNB)の元総裁ジャン=ピエール・ロートは、スイスは貧しい小国だったからこそ発展した、と述べたという。スイスの成功がもたらされた背景は、どう見ても展望のないものだった。
鉱物資源が乏しく、ほとんどの土壌は不毛で、地形は農耕に適さない。山が多いため、交通や通信の発展は遅れた。外海に面していないため、海を利用して、植民地の富を獲得することもなかった。山間の孤立した地域が多く、それぞれが独自の社会構造や特性を備え、宗派も異なる。人びとはやむなく協調して生きる道を見出し、様々な文化的背景を持つ移民も早くから受け入れてきた。現在、人口のほぼ3分の1は移民かその子孫である。
スイス繁栄の基盤は、複数の産業にまたがる長期的な起業活動が繰り返された結果だ。しかし、傑出した起業家の多くはスイス人ではなく、大半は移民だった。アンリ・ネスレはドイツからの亡命者であり、スウォッチのニコラス・ハイエクはレバノン出身、テニスの伝説的プレイヤー、ロジャー・フェデラーの母親は南アフリカ出身だ。
移民の成功は、スイスの環境と移民自身の気質によるものだ。スイスは小国ながらも多様性に富むため、異なる文化を持つ人々を理解し、必要に応じて開放的にならざるを得なかった。だからといって、移民が温かく歓迎されているわけではない。他の国同様、移民は自らの価値を証明するまでは、疑いの目を向けられる。自らの生存のために戦わなくてはならないし、成果を示してこそ尊敬を勝ち得ることができる。
移民の成功以上に驚くべき点は、海外で活躍するスイス人起業家・企業家の多さだ。スイス流のホテル経営を輸出したセザール・リッツや、シボレー・モーター・カンパニーの共同創設者ルイ・シボレーをはじめ、成功を手にしたスイス人は数多い。
スイスでは、大学教育とともに、伝統的な職業訓練(徒弟制)が今も重視されている。地味な職業でも専門資格を持っていれば尊敬されるため、職業に誇りを持つことができる。このため、安定した幅広い中間層が形成された。
国内市場が狭いため、多くの産業は早くに国際化を遂げた。スイス企業は外国人労働者やその文化を受け入れ、海外で活躍する起業家や企業人は、外国語を学び、謙虚に振る舞うのが得意だ。また、スイス企業は、買収した海外企業の文化を自社の風土に巧みに統合してきた。買収した企業に自律性を認める風土から買い手として好まれ、このことは国際競争でも優位に作用している。
官民のバランスは、他の多くの先進国とは大きく異なっている。企業や業界が拡張拡大主義であるのに対し、スイス政府は内向きだ。スイスは他国を占領したことも、戦争を仕掛けたこともない。スイスの統治構造の特徴は、大組織への疑念(「小さいことはいいことだ」)、連邦制(州の自治権はアメリカやカナダと比べても強い)、国民の権利尊重の三原則にある。こうした原則によって、ボトムアップの社会がもたらされる。
永世中立国であることもまた、スイスの発展にとって重要な役割を果たしてきた。ヨーロッパで何世紀にもわたって繰り広げられた武力闘争の多くは、スイスの商人や製造業者に格好の機会をもたらし、迫害された有能な人材が移民として流入した。
3,400冊以上の要約が楽しめる