私たちは赤ちゃんのころ、誰からも強制されることなく、また教わることもないのに、母語を習得してきた。母語の習得は、言語のルール自体を探りながら覚えるというきわめて難しいプロセスだ。
たとえば、大人が白くて耳の長いウサギを指して「ウサギさんだよ」と赤ちゃんに教えたとする。しかしそれだけでは、ウサギという言葉が指し示す範囲を伝えることはできない。茶色のウサギ、小さなウサギ、耳の垂れたウサギ、これらも全部「ウサギ」と呼べるが、白いネコやハムスターは「ウサギ」ではない。言葉を本当に理解するには、その言葉が指し示す意味範囲を把握していなければならないのだ。
子どもが知らない架空の動物に名前をつけて、それと同じ種類の動物を子どもに選んでもらうという実験では、子どもはモノの名前を形に注目して覚えていることが示されている。形が似たものに同じ名前がつくという推論をしたり、知っている単語の知識から新しい単語の意味を探ったりと、子どもはさまざまな工夫をしながら知らないことばの意味を探り、覚えていっている。
子どもはことばを考えて使うことで、問題解決をする名人だ。ある3歳くらいの子どもは、イチゴを食べるときに「イチゴのしょうゆをちょうだい」と言ったそうだ。その子は、イチゴをおいしくするものが欲しいが、その名前がわからない。そこで「食べ物にかけておいしくするもの」である「しょうゆ」を「カテゴリー」として使い、コンデンスミルクもまた「しょうゆ」と言えるのではないかと考えたのだ。
形に注目したり、モノとモノの間の関係性を探ったり、文法を分析したり、読み方を発見したり、範囲を広げたり、逆に狭めたり、私たちは母語を使いこなせるようになるためにたくさんの試行錯誤をしてきたのだ。これだけで、ちょっと自分が誇らしくならないだろうか。
「ことばの力」は、「考える力=思考力」とも密接な関係を持っている。ことばの力と考える力は、ちょうど右足と左足のようなものだ。片方が前に出れば、もう片方がそれを追い越すようにして前に出る。ことばの力が伸びれば考える力も伸び、考える力が伸びれば、ことばの力も自ずと伸びていく。
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