世の中は思うようにならない―私たちは人生で起こってくるさまざまな出来事に対して、ついそんなふうに見限ってしまうことがある。しかしそれは、「思うとおりにならないのが人生だ」と考えているから、そのとおりの結果を呼び寄せているだけのことで、その限りでは、思うようにならない人生も、実はその人が思ったとおりになっているといえる。
不可能を可能に変えるには、まず「狂」がつくほど強く思い、実現を信じて前向きに努力を重ねていくこと。それが人生においても、また経営においても目標を達成させる唯一の方法である。
京セラが、IBMから初めて大量の部品製造の発注を受けた際、その仕様は、寸法精度を測定する機器すら当社にはないほどの厳格さで、開発は困難を極めた。しかしこれは稲盛氏の常套手段で、創業当時から、大手が断った高度な技術水準の仕事をあえて引き受けることで仕事を取ってきた。引き受けた時点では不可能だと思えることも、最後は神が手を差し伸べてくれるまで必死の思いでやり続け、ついに完成すれば、安請け合いという嘘は実績という真実を生んだことになる。自分の能力は未来進行形で考えて仕事を行うべきだ。
夢を抱けない人には創造や成功がもたらされることはないし、人間的な成長もない。夢を描き、創意工夫を重ね、ひたむきに努力を重ねていくことで、人格は磨かれていく。そういう意味で、夢や思いというのは人生のジャンプ台である。
私たちはともすると、物事を複雑に考えすぎてしまう傾向がある。しかし、物事の本質は実は単純なもので、いっけん複雑に見えるものでも、単純なものの組み合わせでできている。技術者出身の稲盛氏は、創業当時、会社経営の知識も経験もなかったが、悩み、行き着いた答えが「原理原則」であった。人間として正しいか正しくないか、よいことか悪いことか、やっていいことかいけないことか。そういう人間を律する道徳や倫理をそのまま経営の指針や判断基準にしたのだ。
例えば、バブル景気の際、京セラには多額の現預金があったため、それを不動産投資に回さないかという提案がずいぶんあったが、稲盛氏は「土地を右から左へ動かすだけで多大な利益が発生するなんて、そんなうまい話があるはずがない。あるとすれば、それはあぶく銭であり、浮利にすぎない」として、すべて断った。「額に汗して自分で稼いだお金だけが、ほんとうの『利益』なのだ」という信念は、人間として正しいことを貫くという原理原則に基づいたものであったのだ。
損をしてでも守るべき哲学、苦を承知で引き受けられる覚悟、それが自分のなかにあるかどうか。それこそが本物の生き方が出来るかどうか、成功の果実を得ることができるかどうかの分水嶺になるのではないだろうか。
このごろの日本人が失ってしまった美徳の一つに「謙虚さ」がある。生きていくのに、オレが、私が、という自己主張が必要なこともわかるが、私たちがいま、謙虚さに代表される「美しい心」を忘れつつあるのは、この国の社会にとって大きな損失である。そして、そのことがこの国を住みにくくしている要因の一つであるように思えるのだ。稲盛氏は、自分の有している能力や果たしている役割は、たまたま天から与えられたもの、いや借り物でしかないと考えている。才能や手柄を私有、独占することなく、それを人様や社会のために使うべきであり、謙虚と言う美徳の本質はそこにあると考えている。
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