学ぶことと生きることはほぼ同じだといえる。赤ん坊として生まれてきて、身の周りのことをできるようになり、言葉を話せるようになる。学校に通うようになると、読み書きを習い、本や情報に書かれている内容も読めるようになる。やがて、個性ある人間として自分らしく生きることを始める。
人生は、それまでの選択の繰り返しで作られる。変化には切れ目がないため、今の自分は何か必然的な道をたどってきた確固たる存在のように感じるかもしれないが、実際には偶然が重なって今が形作られている。自分という人間は選択によって作られるのであり、この先の未来も同じである。つまり、人間の個性にはあまり根拠がなく、いつでも未完成だということだ。
人間はいつでも未完成だということは、逆の見方をすれば、人間はいつでも完成形ということでもある。できかけのプロセスはその都度の完成形であって、どの時点であるにせよ、その人はその人として暫定的に完成している。
人を完成させる要素は、その人の経験、持って生まれた素質、そして言語である。人の個性、すなわち人の人生は半分以言葉づかいでできている。たとえば、自分が生きる意味や自分らしさ、大切な人々との関係の行く末、その人々にどう感謝の気持ちを伝えればよいのかなどは、言葉の存在なしに考えることはできない。
このような考えは、ある種のパターンの繰り返しである。そうしたパターンを学んでこそ、自分独自のユニークなところをみつけられる。そして言葉は、人生のパターンをとらえるようにできていて、言葉以外に自分をつかまえる方法はない。だからこそ、自分なりの人生の像を結び、生きていくためには、言葉の能力を高めることが必要なのだ。
それでは、どのように言葉の能力を高めるか。そのために有効なのは、過去の誰かの似たような経験を参考にすることだ。それは、本に書いてある。本をみつけて読めば、学べるのだ。
それでは、どんな本を読めばいいのか。
人が初めて目にする本は、絵本など親に買い与えてもらった本である。そして小学校に入学すると、今度は読むべき本として教科書が配られる。教科書とは、中学も、高校も、大学まで付き合うことになる。しかし、一旦学校を卒業してしまえば、その後どのような本を読むかは自分次第である。
どの本を選んだとしても、正しいも間違いもないが、読んで面白くなかった、役に立たなかったと後悔するような本はできれば避けたい。
そこで、本の選び方としてまず知っておく必要があるのは、本にはネットワークがあるということだ。人と人との繋がりがあるのと同じように、1冊の本にはその本を生み出した別の本がある。さらに、その別の本を生み出したまた別の本も存在する。このように、本と本はネットワークを築いている。これは、本の書き手というのは同時に読み手でもあり、本を書く際は多くの場合、別の本を読んでから執筆に取り組むからである。
したがって、本を選ぶときはまずその本のネットワークの構造を理解することがポイントだ。そしてその構造がわかれば、「ネットワークの節目」となる本を読む。そのほかの本は読まなくてもよい。
教科書卒業後の大事な本のジャンルにクラシックス(古典)がある。クラシックスとは、みんなが読むべき定番となっている本で、大事なことがらを世界で最初に書いた本である。原典を読むのが一番良いが、時代や言語の問題でなかなか難しい。しかし、本のシステム(相互関係)を理解するために、おおよその内容は知っておきたい。
そこで役に立つのが「入門書」だ。入門書はクラシックスの系統樹のダイジェストなので、最初の古典からそれ以降に生まれた古典全ての見取り図を一度に理解することができる。ただし、
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