著者は、教養英語の授業を担当することが決まったとき、ヘンリー・フィールディングの『トム・ジョーンズ』を読み始めた。自身の英語力向上がねらいだ。
『トム・ジョーンズ』を選んだのは、1997年にイギリスBBC放送が制作したドラマを観ていたからだ。面白い映画やドラマを観ると、その原作を読みたくなる。
昨今、教養英語の授業といっても、文学作品を教材にすることはほとんどない。むしろ、新聞記事を寄せ集めたものや、TOEICの対策問題集などといった、つまらない教科書を使うことが多い。それは不幸なことだと著者はいう。
著者が読み始めた『トム・ジョーンズ』は、細かい活字で800ページ以上に及ぶ長編小説である。邦訳版は4巻本になっている。日本語で読むとしても一苦労だが、原書で読むのだから途方もないほどの時間がかかるボリュームだ。
外国語で読書する場合、すべてを分かろうとしないことが重要だ。すべての語彙と慣用表現と構文を理解しようとしたり、辞書を引いたりしてはいけない。分からなくても、とりあえず先に進もう。長編小説であれば、読み進めていけばいつかは分かるかもしれない。こうした試行錯誤ができるのが、長編小説のいいところだ。
映像を観た後に原作を読むというルートは、外国作品に限ったことではない。日本の映像作品から外国語読書へとつなげることもある。
著者は、市川崑監督作品のファンである。『犬神家の一族』や『悪魔の手毬唄』などをくり返し観ていたほどだ。そして洋書店で『犬神家の一族』を見つけたことをきっかけに、英訳を読んでみることにした。映像で観ていたからストーリーは知っているものの、原作を知らない日本の小説を英語で読むのは初体験であったという。
結果として、『犬神家の一族』の英訳版は、楽しく、読みやすいものだった。1つの章が適度な長さで読み進めやすい。さらに、日本語より注意深く読むため、映像では見過ごしてしまいがちな細かい点にまで気づくことができた。日本独自の事物が英語でどう訳されているのかも、興味深く読んだという。横溝正史のミステリーは、伝統社会の描写あり、俳句やわらべ歌を使ったトリックありで、日本理解にぴったりだという発見もあった。
ある言語で親しんだ作品を別の言語で読めば、外国語の運用能力が滑らかになるだけでなく、その作品を再び楽しめるのだ。
現地でことばを覚えた外国人の中には、ことばがあまりに口語的すぎたり、それが行き過ぎて乱暴なことば遣いをしたりする人も少なくないものだ。しかし、著者の友人のロシア人は、それに当てはまらない。彼女は穏やかで正確な日本語を話すため、彼女の日本語はどんな人にもよい印象を与えるという。
しかし彼女は突然「私の日本語はまだまだです」と言い出した。その理由を聞いてみると、
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