日本社会の秩序は、封建制の身分社会から「労働者」対「資本家」という階級社会、そして総中流社会、格差社会、貧困社会というふうに表現を変えてきた。そしてこの先の日本は、分断社会と表現されるだろう。
「分断」は、4つの点において特有の意味を持つ。
(1)境界の顕在性:集団間の境界が客観的に見えるということである。
(2)成員の固定性:集団間を行き来できないということだ。
(3)集団間関係の隔絶:各集団に属している人たちの交わりが少ないということである。
(4)分配の不均等:集団間に優劣があり、対等でないということだ。
本書では、団塊の世代が退出した後に日本社会を担う20代から50代の男女を現役世代と呼び、現役世代に視点を定める。そして現役世代を「生年区分」「ジェンダー境界」「学歴分断線」の3つの観点で分け、分断状況を分析する。
本書における生年区分とは、現役世代をちょうど真ん中の40歳で分けるものだ。2015年時点の40歳から上を壮年層、下を若年層とする。この分け方では、壮年層が団塊ジュニア以上の世代となる。人口サイズはほぼ半々だ。
ジェンダー境界では、社会文化的な性が男か女かという観点で区分する。現代日本社会においては、男女双方の役割が日々変化しているものの、男女という観点は外せない。
そして分断社会の核心にあるのが、社会経済的地位の上下の構造だ。その三大要因は「学歴」と「職業」、そして「経済力」である。そのうち、最も固定的なのが学歴だ。また、学歴が職業キャリアを構成し、そのアウトプットとして経済力があることからも、学歴こそが社会経済的地位の根幹をなすものであるといえるだろう。
大卒層と非大卒層には、明らかな格差がある。それは、就いている職種や産業、管理職への昇進のチャンス、仕事を失うリスクの大きさ、求職時の有利・不利、そして賃金における格差だ。2つの層は、職業に関してだけでなく、ものの考え方や行動様式も異なる。
一度成立した学歴分断の構造は、世代を超えて継承される。大卒の両親は子どもの大学進学を望み、非大卒の両親の子は大学進学率が低い傾向にあるからだ。
つまり、現代日本においては、大学・短大に進学するかどうかがその後の人生を分断しているだけでなく、それが世代を超えて繰り返されているのだ。若年ワーキングプアや正規・非正規格差、教育格差などといった現代日本の格差は、「大卒学歴の所有/非所有」がつくりだしている。著者は、大卒/非大卒の境界線を「学歴分断線」と呼ぶ。
「学歴」というと、大学ごとのネームバリューや難易度のことだと思う人もいるかもしれない。こうした大学ごとのブランド力は、学歴ではなく学校歴と呼ばれる。
学校歴の競い合いは、学歴分断社会の上に成り立っている、「大卒学歴の所有/非所有」とは別のゲームだ。学歴分断社会においては、学校歴は重要ではない。大卒学歴を持っていさえすれば非大卒よりも仕事を得やすくなるし、待遇もよくなる。労働市場の半分より下に落ちる心配はない。大卒学歴を持っている人たちは「ガラスの床」の上にいるようなものだ。
一方、非大卒層にとっての学歴とは、高卒程度の求人に応募できるという雇用資格のことであって、
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