高齢者になると事故死が増える。踏切を渡りきれなかったり、車の接近に気がつかなかったりして亡くなる高齢者は多い。高速道路を逆走するなど、高齢者が加害者になる交通事故も目立つ。
しかし、高齢者の死亡場所としては、一般道路は約7%に過ぎない。実際のところ、交通事故死よりも家庭内における「不慮の事故」で亡くなる高齢者のほうがはるかに多いのだ。65歳以上の事故発生場所は「住宅」が約80%と、断トツである。
どうして高齢者が住宅で事故死しているのか。その背景に、高齢者の独り暮らし世帯の増加がある。子どもたちが独立し、配偶者に先立たれた高齢女性が広い自宅に独りで暮らしているという状況だ。こうした状況においては、安全だったはずの自宅が凶器と化す。
家庭における事故死の要因でとくに多いのは、「不慮の溺死及び溺水」「その他の不慮の窒息」「転倒・転落」だ。高齢者は、つまずいた拍子に湯船に倒れ込んだり、階段の段差でつまずいたり、庭木を剪定しているときにはしごから足を踏み外したりして亡くなっている。
高齢社会において、移動販売や宅配といったサービスが期待を集めている。しかし、こうしたサービスの経営状況は決して芳しくない。総務省によれば、2016年時点で継続中だった193事業のうち、106は赤字経営だったという。利用者数や売り上げが伸び悩めば、事業継続を断念するサービスもあるだろう。
移動販売の拡充が難しければ、高齢者であってもやむにやまれず外出するほかない。そうすると、何が起こるか。たとえば、各駅のエレベーターの数と稼働能力を考えてみよう。エレベーターが設置されている駅でも、上下線のホームに1基ずつがせいぜいだろう。そのエレベーターが車いすに対応していたとしても、1基には1台の車いすしか乗り込めない。車いすの高齢者がエレベーターの前に列をなすことになろう。
さらに、電車のダイヤ乱れも免れないだろう。現在、大都市では、時間帯によっては数分に1本の間隔で電車が走っている。それを可能にしているのは、テキパキ動く乗客だ。高齢の利用者が増え、乗降に駅員の手助けを要するようになると、過密ダイヤでの運行は不可能になる。
高齢者の外出機会が増えると、デパートやスーパーマーケットといった売り場の光景も変わる。若い世代の顧客は、自分の欲しい商品を自分で確認し、購入することができる。一方、判断力が衰えた高齢者では、そうはいかない。店員から商品説明を受けても1回では理解できず、支払いにも戸惑ってしまう。何を買いに来たのか忘れてしまい、何も買わずに帰ってしまう人もいるだろう。
結果、売り場の人員が不足し、人員コストがかさんでしまう。売り場や窓口が混雑すれば、業務の合間を縫って訪れたビジネスパーソンの労働生産性が落ちることにもなる。多くの高齢者が街に出ることを前提に、社会やビジネスの有り様を変えていかねばならないのだ。
今後、勤労世代は激減する。2015年に約7000万人だった20~64歳は、2065年には約4000万人へと、40%も減ってしまう。勤労世代の絶対数が減るのはもちろんのこと、勤労世代のなかで高年齢化が進むことも看過できない。
仕事は、若手からベテランまでの多様な年代がそろっていてこそ、斬新な発想やアイデアを実用的な商品やサービスに結びつけられるものだ。ベテランばかりでは、発想が古く、新たなアイデアが出てこないこともあるだろう。
大きなトラブルも懸念される。
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