コンテンツの定義はあいまいだ。一般的にはアニメや漫画、映画、音楽、ゆるキャラなど、モノや映像がブランド化され、それがビジネスにつながっているものが、コンテンツと認識されている。
しかし著者によると、「この世にあるものすべてがコンテンツである」という。世の中に存在するものはどれも、誰かの発明であったり、誰かの想いが詰まっていたりする。生活者に理解しやすい形で伝えることで、「コンテンツ化」できる可能性を秘めているというのだ。
コンテンツ化のポイントは、「どこから見るか、誰から見るか」である。たとえば、「南アルプスの天然水」というミネラルウォーター。長野県や山梨県の住民は、その価値に気づかないかもしれない。しかし、首都圏に住む人からすると、「南アルプスの大自然の中で育まれた水」というイメージがふくらみ、その価値が認識される。すると、今度は「南アルプスの天然水でつくられた水ようかん」や「南アルプスの天然水 源流を辿るトレッキングツアー」といった、多様な商品化の可能性を秘めた「コンテンツ」へと昇華していく。
コンテンツ化に有効なのは「狭める」ことだ。これは生活者に対し、イメージを明確にすることと同義である。
たとえば、「お金のことがわかる番組」より、「75歳以上の年金生活を考える番組」のほうが、よりコンテンツになりやすい。なぜなら、生活者にとってそれが「自分に関わることなのかどうか」を直感的に判断できるからだ。こうした理由から、イメージが明確なタイトルや商品名は至るところにある。
コンテンツ化というのは、受け手に対し、イメージを「狭めて」あげることで、「あなたのためにあるのだ」と気づきやすくすること。同時に、「価値を感じたい」と思っている人に、「価値を感じてもらえるよう仕立てる」ことでもある。これはある種の「マッチング」といえよう。
当たり前のことながら、コンテンツはあくまで人がつくるもの。コンテンツには、コンテンツづくりに関わる人の生い立ちや生き様が、おのずと反映される。そうしてできたモノには「想い」が付加されている。「想い」のないコンテンツが人気を博すことはない。コンテンツづくりの成功をめざすには、たくさんの人の多様な意見のうち、不必要なものを排除しないといけない。これにはかなりの労力やリスクを伴う。そこで、実行し続けるための原動力になるのが、この「想い」なのである。
コンテンツづくりで最初に決めるべきことは「目的」である。コンテンツは完成後も、世相や環境、ニーズの移り変わりに応じて、変化を求められることもある。そんなとき、そのコンテンツをつくる目的がないと、何をどこまで変えていいのか判断できなくなってしまう。
真の目的を見つけるには、「なぜ?」をくり返すとよい。そのコンテンツがなぜ必要なのかを掘り下げていこう。
目的の大きさは、コンテンツがターゲットとする人数に比例する。対象が多ければ多いほど、大きな目的が問われる。すると究極的には、愛や平和といった、「世のため人のため」という「大義」に辿りつく。コンテンツのディテールを決めるのは、この大義である。
著者が企画した「世界行ってみたらホントはこんなトコだった!?」という番組を例にとろう。この番組では、二人のディレクターがレポーターとなって、一か国を二週間ずつ取材し、意外な文化や知られざる生活を紹介していく。この企画の目的は「異文化を知ることの大切さを伝えること」である。たくさんの人の心に響くように、それを楽しく視覚的なエンターテインメントに変換して伝えていくことが著者の狙いだった。
3,400冊以上の要約が楽しめる