2018年2月24日は、日本カーリング史に残る日となった。平昌オリンピックで日本とイギリスが銅メダルを競い、日本が見事勝利。カーリング女子日本代表は、初のメダルを獲得したのだ。
勝利が決まってまず著者がしたことは、5人目の選手として、相手チームのコーチボックスに行って「Good game」とお互いの健闘を讃え合うことだった。カーリングは審判のいない、相手との信頼関係ありきのスポーツだ。だから、試合後はどんな結果であろうと、まずは相手と笑顔で握手をし、感謝を伝えるのだ。
平昌オリンピックは著者にとって3度目のオリンピックであった。そして、初めてコーチボックスに座ることを選択したオリンピックでもあった。「アイスに立ちたい」という気持ちがあったことは否定しないが、コーチボックスから見た景色は思っていた以上に気づきに満ちていたという。相手チームメンバーと交流したり、ハーフタイムに「最小限の正しいこと」を選手に伝えたりと、チームをサポートする重要性を学ぶ、貴重な経験となった。
著者は北海道の常呂町(ところちょう)で生まれた。常呂町はオホーツク海に面した人口約3700人の小さな町だ。ホタテやジャガイモが名産の「何もない町」だが、オリンピック出場経験のあるカーラー(カーリングの選手)を10数名も抱える「カーラーの名産地」だ。
著者は小学4年生の時、体育の授業で初めてカーリングに触れた。そしてその後、中学3年の時に日本ジュニア選手権で優勝し、世界ジュニア選手権に出場する。
高校卒業後は「チーム青森」に加入するため、故郷を離れて青森市内の短大に進学した。2006年2月には初めての五輪、トリノ大会に出場。続けて2010年のバンクーバー五輪にも出場を果たす。しかし結果はいずれもふるわず、7位、8位という結果に終わった。ショックだった。
4年に一度の五輪という舞台に出るため、選手には厳しいスケジュールが組まれている。そのスピード感の中、大事な「コミュニケーション」がふるい落とされてしまったのではないか。著者はバンクーバーの後、そう思うに至ったという。
2度の五輪で連覇を果たしたのはスウェーデン代表だ。しかもバンクーバーでは全員が「ママプレーヤー」になっていた。カーリングが人生なのではなく、人生の中にカーリングがある。そして、人生とカーリングがお互いに良い影響を与え合っている。スウェーデン代表チームの姿から、そのことを学んだ。
2010年、著者は故郷の常呂町に戻り「ロコ・ソラーレ」を結成。「密なコミュニケーションを武器にした地元に愛されるチーム」「楽しいカーリング」を目指して助走を始めた。
当初のメンバーは看護師の馬渕恵(25歳)、地元製菓会社勤務の江田茜(21歳)、まだ学生だった鈴木夕湖(18歳)と吉田夕梨花(17歳)、そして著者の5名だ。年齢も職業もバラバラ、ゼロからのスタートだった。
「4年に一度」に振り回されないチームをつくりたい。それが著者の願いだった。そのためには、お互いが何でも言い合える、深いコミュニケーションを重ねる必要があった。
また、地元に愛されるチームでありたいとも考えていた。チーム名に「ローカル」を意味するロコをつけたのもそのためだ。
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