【ヒロミ】デビット伊東、ミスターちんと3人で「B21スペシャル」を結成したのが1986年。21歳のときのことだ。尖ったスタイルがウケて、1996年には個人事務所をつくって独立するほどの成功を収めた。売上が月額6000万円にのぼったこともある。デビュー以来、約20年、タレント・ヒロミとして芸能界の一線を走り続け、テレビのレギュラー番組が途切れることはなかった。
だが、40歳を迎えようとする頃、空気が変わっていくのを感じていた。氷河期に入り、テレビ局も制作スタッフもスポンサーの方を見るようになったのだ。お金を出しているスポンサーが、尖ったキャラの僕より、もっと番組にふさわしい所作ができるタレントを選ぶのは当然のことだろう。40歳を目前にして、初めての挫折だった。
今まで通りにはいかないかもしれない。そんな予兆を感じ取ったとき、多くの人はどうしているのだろうか? 気のせいだと考えてその場に踏みとどまるのか、あるいは「何かが起きる」と身構えて対策を練るのか。
僕は後者を選択した。世間からもスポンサーからも求められなくなってまで芸能界にしがみつくより、僕は自分の意志でタレント・ヒロミを小休止させようと決めた。
【藤田】サイバーエージェントが東証マザーズに上場したのは、2000年3月24日。設立から2年、私が26歳のときだった。「史上最年少の上場企業社長の誕生」と報じられ、上場時の初値は1520万円。225億円の資金調達にも成功した。
上場後は「早く会社を拡大しなければ」と、会社設立時よりもさらに仕事に打ち込んだ。ところが上場の1カ月後、アメリカのナスダック市場でインターネット関連企業の株価が下がり始め、その影響は日本にもすぐに波及。ネットバブル崩壊の兆しが見え始め、株価は上場時の10分の1にまで落ち込んだ。
そんなとき、10億円を出資し、危機を救ってくれたのが楽天の三木谷浩史社長だった。その三木谷社長から言われたことがある。「外野の声に惑わされることなく、自分の信念を貫けばいい。時間をやり過ごすためにも何か趣味でも持ったら?」と。経営は長期戦だから、息抜きの遊びや趣味を持ち、小休止の時間を取った方がいい。そんなアドバイスだったのだろう。
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