キム・ジヨン氏は三年前に結婚し、一年前に女の子を出産した。33歳だ。夫は帰宅時間が遅く、土日も片方は出社する。どちらの実家も頼れないので、ジヨン氏は一人で子育てを担当している。
キム・ジヨン氏に異常が見られたのは9月8日のことである。朝食で突然、自分の母のような物言いをした。しゃべっている内容だけでなく、話し方の様子も身振りの癖もそっくりだった。夫は驚いたが、冗談だと思って応対した。
けれどその後もジヨン氏の異常は続いた。自分は去年死んだ二人の共通の知り合いだと言い出したり、彼女の料理の技術では作れず、彼女自身も好きではない料理を作ったりする。
事件は秋夕(チュソク。里帰りして先祖の墓参りをするのが恒例)の連休に、夫の実家へ行ったときに起きた。ジヨン氏は、姑と一緒にたくさんの料理をして食膳の準備をした。夫の妹のチョン・スヒョン氏が、自分の母親に向かって、こんなに苦労して準備をしなくてもいいのではないか、ジヨンさんだって大変だし、ということを発言した。姑は「家族に食べさせたくてやってることじゃないか。これのどこが苦労なんだい?」と返し、ジヨン氏に、「あんた、大変なの?」と尋ねた。そのときだ。ジヨン氏の表情が変わり、自分の母のような語り口で、「ああ、もう、お義母さん。うちのジヨンはねえ、実は、帰省のたびに体をこわすんですよぉー」と答えたのだ。その場に緊張がみなぎった。不機嫌になってしまった舅に対し、ジヨン氏はさらに、「うちだって、家族なんですよ」「うちの子だって里帰りさせてくださいよ」と落ち着き払って言った。
ジヨン氏の夫は一人で精神科を訪れ、治療法を相談した。精神科医は、ともかくカウンセリングを受けることを提案した。ジヨン氏には自覚症状がなかったが、気分が沈みがちで育児うつかと思っていたとのことで、精神科医の提案に感謝した。
キム・ジヨン氏は1982年4月1日、ソウルのとある産婦人科病院で生まれた。そして、父方の祖母、公務員の父親、主婦の母親、姉と弟と暮らした。
ごはんは父、弟、祖母の順に配膳され、かたちのきれいな豆腐や餃子は弟が食べた。傘が二本あれば、一本を弟が使い、姉妹はもう一本で相合傘をした。けれど、キム・ジヨン氏は弟をうらやましいとは思わなかった。年上だから譲ってやらなくては、同じ性別の姉と自分がものを共有するのは当然だと、自ら理屈をつけて納得していた。
キム・ジヨン氏の祖母は、嫁でありキム・ジヨン氏の母であるオ・ミスク氏が女の子を産むたびに、次は男の子を産めばいい、と声をかけ続けた。三人目に身ごもったのも女の子だとわかったとき、オ・ミスク氏は泣きに泣いた。その夜、オ・ミスク氏は夫に、もし生まれてくる子がまた娘だったらどうする、と尋ねたところ、返ってきたのは「縁起でもない」という言葉だった。
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