世界最大の消費財メーカーの一つであるプロクター&ギャンブル(P&G)の誕生は、1837年に遡る。石鹸とローソクのメーカーとしてシンシナティで産声を上げたP&Gは、手工業から工場生産に移行する時代の波に乗り、大量生産体制を整えて事業を伸ばしていった。そして、蒸気船を使った物流網や鉄道網の拡大により順調に商圏を広げた。
P&Gを更なる成長軌道に乗せるきっかけとなったのが南北戦争である。P&Gは、北軍に石鹸とローソクを供給するという大型契約を、政府と締結したのだ。こうして、南北戦争前に数万ドルであった売上は、終戦後には100万ドル規模にまで達した。この頃のP&Gは、大量の受注に対応する中でも、製品の研究を定期的に継続していた。こうした努力が、後の大ヒット商品へとつながっていった。
ビジネスの中核であったローソク市場が縮小する中、P&Gは、アイボリーと名づけた石鹸を世に送り出す。石鹸市場で十分に差別化されたこの製品は、P&Gがブランド構築の優良企業へと変貌していくきっかけとなった。P&Gは、雑誌広告を通じて、P&Gではなくアイボリーを売り込んだ。そして、消費者に直接コミュニケーションすることで、アイボリーと消費者との新しい関係性を構築することに成功した。ブランド力でマスマーケティングに切り込んでいくというこの手法は、その後の同社の基本的な戦術となる。ブランドがどのように機能するのか、P&Gは実験と分析を繰り返しながら、理解していった。
アイボリーの成功で米国最大の石鹸メーカーになったP&Gは、1891年に株式公開に踏み切る。株式公開をきっかけに、P&Gは次々と企業基盤を確立する施策を打ち出していく。なかでもP&Gが競争優位を獲得する上で重要だったのは、ブランディングに関する施策だ。最終的にP&Gは、ブランドの開発に始まり、製造、マーケティング、営業、物流に至るまでの一連のプロセスを調和させるために、ブランドマネジメントという概念を組織として実現していった。
粘り強い研究開発により誕生した洗濯用洗剤タイドは、P&Gを躍進させることになる。タイドの成功を確信した経営陣は、テストマーケティングプロセスを省いて、市場への早期投入を決断する。大規模な設備投資で、生産体制も先行して確立した。このような、リスクを恐れず先行者利益を得ようとする経営方針は、タイドの大旋風を巻き起こした。タイドの大成功は、P&Gをさらなる成長軌道に乗せていくことになった。
タイドの記録的な成功で安定的な財務基盤を獲得したP&Gは、これまでに培ったブランド構築能力を活用して、次々と新商品を送り出した。第二次世界大戦後の好景気も追い風となり、石鹸、洗剤、歯磨き、シャンプー分野で事業を順調に拡大させた。この頃、10年ごとに売上を倍増するという秘めた目標を掲げていたP&Gは、新しい消費財分野へ参入するために企業買収に動き出す。P&Gの既存事業との技術的関連性が深い事業を展開する企業を買収の標的にし、紙製品と食品カテゴリーの事業を拡充させたP&Gは、総合的な家庭用消費財メーカーへと変貌を遂げていった。
テレビ広告も効果的に活用しながら、米国で事業を拡大させたP&Gは、いよいよ海外進出に乗り出す。南米を皮切りに、ヨーロッパへ進出し、1980年になると日本を含めた22か国で事業を展開する多国籍企業に成長した。
その一方で、P&Gは、面倒な社会的・政治的な制約を受けるようになった。独占禁止法が強化されたため、同業種の企業買収や統合が難しくなった。環境保護主義の台頭も、洗剤を販売するP&Gには逆風となった。
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