移民問題や財政問題をきっかけに、ヨーロッパで「国民国家の復活」が起きている。フランス、ドイツ、イタリア、ポーランド、ハンガリーなど、どの国も古い型のモデルに戻ろうとしている。
時代の針が巻き戻り始めた世界で、私たちは特に、ソーシャル・メディアから自分自身を解放する必要がある。ソーシャル・メディアは純然たる「擬態」だ。ソーシャル・メディアはまるで社会であるかのように見えるかもしれない。だがそれはリアルではない。インターネットには法廷も権力分立もない。完全に非民主的だ。インターネットこそ民主主義の土台を揺るがしている。民主主義大国でポピュリズムのような非民主的な意思決定が増えているのは、リアルな世界がインターネットに近くなったからだ。
その結果、いま私たちは5つの危機を迎えている。すなわち「価値の危機」、「資本主義の危機」、「民主主義の危機」、「テクノロジーの危機」、そしてそれらの根底にある「表象の危機」である。これらの現状を理解するためには、まず著者が提唱する「新しい実在論」(New Realism)について説明しなければならない。
「新しい実在論」とは、2つのテーゼを組み合わせたものだ。
1つめのテーゼは、「あらゆる物事を包摂するような単一の現実は存在しない」というものである。言い換えるならば、「現実は1つではなく、数多く存在する」。2つめのテーゼは「私たちは現実をそのまま知ることができる」というもので、なぜなら私たちはその現実の一部だからである。私たちが自分の精神状態を知れるのは、自分がその精神状態そのものだからであり、たとえば数学について勉強すれば、数学について知ることができる。現実は「すべて知ることができるもの」と想定するのがこの実在論だ。
「新しい実在論」が、なぜいま注目を集めているのか。それは21世紀の哲学における新しい発見だからであり、「新しい実在論」はデジタル革命の結果として出てきた知見だからである。デジタル化によって、私たちの存在するもの・しないものに対する認識は大きく変わった。人間はこの現実に対応すべく、絶えず新たな精神的現実をつくりだしてきた。「新しい実在論」は現状に対応するため、ポストモダン以降ではじめてできた新しい哲学である。
さらに「新しい実在論」は、リアルとバーチャルの境界線を明確にした。このデジタル時代では、ソーシャルネットワークやポピュリスト政治が横行し、現実と非現実との境界線がぼやけている。この境界線を再度明確に引くのが、「新しい実在論」である。
「新しい実在論」において重要なのが「意味の場」という概念だ。「意味の場」とは、特定の解釈をする際、対象をいかにアレンジメント(配列)するかを示す。
たとえばテーブルに、青と白と赤の3つの立方体があるとする。そこにやってきた人に「テーブルにいくつ物体があるか」と尋ねれば、「3つ」と答えるだろう。しかしもし理論物理学者のヴェルナー・ハイゼンベルクであれば、原子の数を数えてその数を言うはずだ。あるいはフランスの大統領なら、「1つ」と言うかもしれない。3つの色を1つにすれば、フランスの国旗になるからだ。もちろん「立方体はいくつあるか」と問えば、答えは「3つ」に統一される。
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