わたしたちは本来多様なアイデンティティを内に抱え、常に発見し、選択して、受容しながら更新していくものである。一方で、人々のアイデンティティを1つに染め上げ、それによって社会に分断をもたらそうとするパワーが存在する。
それが典型的に現れるのが選挙である。政治家は、自分の主張をわかりやすいものにするために、画一的で単純化されたアイデンティティを有権者に押し付けようとする。「所得による格差(富裕層/低所得層)」は、まさにそうだ。
本来であれば、生活の満足度などは、所得の差にかかわらず人それぞれなのに、政治家は格差を強調することで社会に分断をもたらす。そして、その文脈で自らの政策を補強し、アピールしようとする。こうして作り出されたアイデンティティによる社会的な分断を、「アイデンティティの分断」と呼ぶ。
社会的な分断の発見は、社会的な課題(イシュー)の発見を出発点とする。それを生業にするのが、社会科学者をはじめとする知識人である。彼らの言説は、「このような社会的課題があり、それが未解消のまま放置されている」といった問題提起の形をとることが多い。
そうした問題提起が次々と現れてくるのは、より良い社会を構築するという意図からであり、成熟した民主主義社会の証ともいえる。しかも、分断の発見をもとにした論文を書くことが、知識人の出世の条件にもなっている。こうした背景から、アイデンティティの分断は止めようもなく、わたしたちはそれを前提に自らのアイデンティティを形成していかなくてはならない。
次にメディアの役割はどうか。メディアは、そうしたアイデンティティの分断を拡散する装置ともいえる。さらに、SNSなどの発達によって、いまでは個々人にカスタマイズされた情報が届けられるようになっている。これが分断を加速させているのだ。そして、政治家が選挙に勝つためにこうした分断を利用する。政治家にとってメディアに論調を合わせることは、極めて重要な戦略なのだ。
アイデンティティの分断の1つの手法が、「属性ラベリング」である。所得、人種、学歴、性別などの属性によるレッテル貼りといえる。
2016年のトランプ大統領当選前後から、「ポピュリズム」という言葉が世界的に流行した。知識人は、社会的な分断が進むなか、社会の底辺層に位置付けられた人々が「怒り」によって政治を動かしていると主張した。
しかし、このようなラベリングは、リベラルな知識人が、自分たちのリベラルな価値観を受け入れられる人(=非ポピュリスト)か、自分たちのリベラルな価値観を受け入れない層(ポピュリスト)かという偏見によって、人々を分類したにすぎない。
政治によるアイデンティティの分断が典型的に見られるのが、米国大統領選挙である。合衆国を構成する州ごとに勝ち負けが決まる選挙戦では、「共和党が勝利した州=赤色」、「民主党が勝利した州=青色」によって全米が色分けされる。これほど米国内の分断をビジュアル化したものはないだろう。
もちろん、両党ともに新規の支持者を獲得しようとしている。だが、赤い有権者をより赤く、青い有権者をより青く染め上げ、確実に投票に行かせるほうが、コストパフォーマンスが高い。こうしたことから、両党の主張の先鋭化は加速するばかりだ。共和党は保守派、民主党はリベラル派の、単純化されたわかりやすいメッセージを繰り返している。そして有権者は、政治家から与えられた政治的なアイデンティティによって、自身が持つ多様なアイデンティティを塗りつぶされ、赤・青のいずれかに染め上げられようとしているのだ。
民主党側のリベラル派によるアイデンティティの分断は、客観的な体裁の属性ラベリングによるものである。
3,400冊以上の要約が楽しめる