1870年代終わりから1890年代にかけて、米国ではビードモントを横断する鉄道が建設された。さらにその鉄道を活用するビードモント製造会社(PMC)が設立された。1876年3月15日、PMCは綿布の中国への輸出を開始し大成功。設備を整えたPMCは、繊維メーカーとしてアジアへと繊維製品を輸出し始めた。PMC以外の企業も追いかけるようにアジアへ進出すると、安価なアメリカ企業の繊維製品がアジアを席巻し、それまで支配的だったイギリス企業の繊維製品は売れなくなっていった。
だが第二次世界大戦後、日本企業がより安価な繊維製品を生産し、さらに10年すると香港や台湾、韓国が繊維製品を生産した。その次は中国、インド、バングラディシュへと、繊維産業の中心は次々と移転していった。
20世紀末、繊維産業でにぎわったアメリカの都市に、かつての面影はない。繊維産業以外にもこうした浮沈の激しい産業は数多くある。たとえば再生エネルギー業界。風力タービンは、ゼネラル・エレクトリックやシーメンス、ヴェスタスなど、欧米企業が生産していた。しかし20年ほどすると、ゴールドウインドなどの中国企業が市場シェアを奪い、グローバル市場で主要メーカーとなった。
繊維産業の衰退と対照的に、スイスの製薬産業は1世紀半もの長期にわたり、業界トップを維持している。スイス北西部のバーゼルには、世界第3位の製薬会社ノバルティスの世界本社がある。ノバルティスの前身はガイギー、CIBA(チバ)、サンドの3社だ。彼らはもともと製薬会社ではなく、染料メーカーだった。だが20世紀が始まる頃には、コモディティ化した染料から、きわめて利益率の高い医薬品へと主力製品をシフトしていた。
ではなぜ医薬品産業は、繊維産業のようにコモディティ化しなかったのか。それは医薬品産業自体が、当初の有機化学からまったく新しい分野に移っていたからだ。その新たな知識分野こそ微生物学である。20世紀の中頃までには、製薬業界の研究の焦点は有機化学から微生物学へと変わっていた。スイスの製薬会社は、2つ目の知識分野である微生物学を発展させたからこそ、新たな寿命を得たのである。
こうしたスイスの製薬会社から学べるのは、長期にわたり成功するための唯一の方法は「リープ(跳躍)」するということだ。先行企業は異なる知識分野へとリープし、製品の製造やサービスの提供に関して、新たに知識を活用したり創造したりしなければならない。
企業がリープするためにはどのような考え方とマネジメントをすべきか、本書では5つの原則にまとめている。(1)自社の基盤となっている知識とその賞味期限を知ること、(2)新たな知識分野を見つけ、開拓すること、(3)地殻変動レベルの変化を味方につけること、(4)実験、実験、実験すること、そして(5)実行に向けて「ディープダイブ」することだ。
リープできた企業とリープできなかった企業は何が違うのか。ここでは2つのピアノ製造会社の対比から、その特徴を見てみよう。
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