座右の書『貞観政要』

中国古典に学ぶ「世界最高のリーダー論」
未読
座右の書『貞観政要』
座右の書『貞観政要』
中国古典に学ぶ「世界最高のリーダー論」
未読
座右の書『貞観政要』
出版社
出版日
2019年12月10日
評点
総合
3.8
明瞭性
4.0
革新性
3.5
応用性
4.0
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おすすめポイント

『貞観政要』という書名だけでは、いつの時代に、誰が、どのようなことを書いた書物なのか、すぐに答えられる人は少ないのではないだろうか。『貞観政要』とは、唐の二代皇帝、太宗(たいそう)・李世民(りせいみん)の言行録である。善政の誉れ高い皇帝の「帝王学」が著された書籍だ。元王朝の初代皇帝クビライ、徳川家康、明治天皇などが、帝王学を学ぶために愛読してきた古典中の古典である。

本書は『貞観政要』を「座右の書」としてきた著者が、マネジメントの原理原則といえる部分を厳選し、わかりやすく解説したものである。書物そのものの魅力にふれられるだけでなく、ライフネット生命保険を創業し、経営者として数々の局面を乗り越えてきた著者自らの経験と考えにも焦点が当てられているため、実用性が高い。

読み進めるにつれ、『貞観政要』が、組織を率いるリーダーの心構えや部下を統率する方法など、普遍的に通用する一冊であることがありありとわかるだろう。著者自身の具体的な経験や様々な事例が加わることで、『貞観政要』のエッセンスが、現代でも全く違和感なく、頭と心に染みわたっていく。

目まぐるしく変化し、先の見通せない現代だからこそ、温故知新の心構えで古典に学ぶことが重要である。1300年読み継がれてきた「世界最高のリーダー論」を学ぶことは、人生の財産になってくれるだろう。

ライター画像
大賀祐樹

著者

出口治明(でぐち はるあき)
1948年、三重県生まれ。ライフネット生命保険会長。京都大学法学部を卒業後、1972年、日本生命保険相互会社に入社。企画部や財務企画部にて経営企画を担当。生命保険協会の初代財務企画専門委員会委員長として、金融制度改革・保険業法の改正に従事。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て同社を退職。その後、東京大学総長室アドバイザー、早稲田大学大学院講師などを務める。2006年にネットライフ企画株式会社設立(のちのライフネット生命保険株式会社)、代表取締役社長に就任。ライフネット生命保険を2008年5月に開業し、2012年3月15日に東証マザーズに上場。2013年6月より現職。
著書に『部下を持ったら必ず読む「任せ方」の教科書』『本の「使い方」』(以上、KADOKAWA)のほか、『生命保険入門 新版』(岩波書店)『「全世界史」講義Ⅰ・Ⅱ』(新潮社)などがある。

本書の要点

  • 要点
    1
    『貞観政要』は、1300年前からある、ビジネスにおける最良のケーススタディだ。
  • 要点
    2
    皇帝は、臣下にいったん権限を与えたら、口出しせずに仕事を任せるような「権限の感覚」をもっておきたい。また、皇帝の欠点や過失を遠慮なく批判する部下を積極的に登用して、「諫言」を聞き入れる必要がある。太宗が傑出したリーダーであったのは、この2点を備えていたからだ。
  • 要点
    3
    リーダーに求められるのは、自らの姿を確認する「銅の鏡」、歴史に学ぶ「歴史の鏡」、周囲からの意見を受け入れる「人の鏡」という3つの鏡である。

要約

時代を超えた普遍のリーダーシップ

歴史上のリーダーが学んだ帝王学
tampatra/gettyimages

『貞観政要』とは、唐の第二代皇帝、太宗・李世民の言行録だ。貞観という稀に見る平和な時代を築いたリーダーと、そのフォロワーたちの姿勢が明快に示されている。クビライや乾隆帝(けんりゅうてい)など、後の皇帝が帝王学を学ぶために愛読し、日本でも北条政子や明治天皇がその教えを学んだという。

太宗がリーダーとして傑出していたのは次の2点である。1つは、臣下にいったん権限を与えたら口出しせずに仕事を任せる「権限の感覚」を持っていたこと。もう1つは、皇帝の欠点や過失を遠慮なく批判する部下を積極的に登用して、「諫言」を聞き入れるようにしていたことだ。皇帝といえども決して全能ではないとわきまえ、欠点や過失の指摘を喜んで聞き入れる。こうした太宗の姿勢が、臣下との問答形式で綴られたのが『貞観政要』である。

理想を演じることで本性になる

2世紀半ばから、地球は寒冷期を迎え、中央ユーラシアの遊牧民が食糧を求めて南下した。天山山脈にぶつかって西へ向かった人々が起こしたのが「ゲルマン民族の大移動」である。これに対し、東へ向かった人々の中の部族が「北魏」を建国したが、その流れを汲むのが「隋」だ。二代皇帝「煬帝(ようだい)」の失政により、中国全土で反乱が勃発。隋は短命に終わったが、代わって中国を統一したのが李淵(りえん)、李世民親子である。

李世民は、隋を滅ぼし中国を統一する戦いで中心的役割を果たした。後に兄と弟を殺害し、父の李淵を幽閉して、28歳のときに二代皇帝として即位した。李世民の治世は「貞観の治」と呼ばれ、君主政治の理想(盛世)、名君中の名君として讃えられている。

だが、実際の業績に目を向けると、暴君として知られる煬帝と大差がない。李世民は、正統性を主張するために煬帝を貶め、善政を布くことで自身の名声を挽回しようとした。正史の編纂が国家事業となったのもこの時代からだ。李世民が立派な人物であったことは間違いないものの、その評価は脚色がなされているといえる。

もちろん、李世民が名君と讃えられるようになったのは、正史の脚色だけが理由ではない。兄弟の殺害によって帝位に就いたことのマイナス面を打ち消すために、本気で立派なリーダーになろうと心を入れ替えたからである。

李世民は、歴史は残るという前提で、理想のリーダーを演じようと考えた。リーダーを演じるとは、自分のポジションを深く自覚することである。自分の立ち位置を確認し、それに見合った振る舞いを演じ続けていれば、それはやがてその人の本性になるのだ。

『貞観政要』は、1300年前からある、ビジネスにおける最良のケーススタディだ。そこからは、リーダーと部下とのあるべき関係や、理想のリーダーになるための条件、組織のマネジメントに対するヒントを得られる。

【必読ポイント!】 リーダーの役割と必要な資質

リーダーが何もせずとも上手くいくのが理想
Radachynskyi/gettyimages

太宗は、諫議太夫(かんぎたいふ)という皇帝を諌める役職を置き、魏徴(ぎちょう)という人物を任命した。魏徴はかつて、敵方だった兄を支えていた人物である。太宗は、魏徴の有能さを見抜き、側近として召し抱えることにした。そして、「私の悪口を言い続けてくれ」と頼んだのだ。魏徴が亡くなった際、太宗は、自分を諌め、自分の本当の姿を教えてくれる人はもういなくなったと、嘆き悲しんだという。

魏徴は歴代の天子や帝位の継承者を観察してきた。その結果として、君主が思慮と徳をわきまえ、才能のある者を選んで任用する。そして、善者を選んでその言に従えば、何もせずとも世の中が自然に治まるという考えに至る。魏徴が理想としたのは、老子の無為自然という思想のように、「君主は何もしていないのに、気がついたら人々の生活が穏やかになっている」という状態である。そこで、策を弄せずとも物事がおのずと良い方向に導かれるような政治を太宗に求めたのだ。

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要約公開日 2020.05.04
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