資本主義と闘った男

宇沢弘文と経済学の世界
未読
資本主義と闘った男
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宇沢弘文と経済学の世界
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資本主義と闘った男
ジャンル
出版社
出版日
2019年03月27日
評点
総合
4.2
明瞭性
4.5
革新性
4.5
応用性
3.5
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おすすめポイント

本書は、20世紀の経済学史そのものと呼べる、宇沢弘文という経済学者の伝記である。2019年度の「城山三郎賞」、石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞をW受賞した。資本主義の限界や課題が叫ばれるいま、出るべくして出た本といえるだろう。

宇沢弘文氏(1928~2014 以下、宇沢)は、ノーベル経済学賞に最も近いといわれながら、アメリカにおけるキャリアの絶頂時に突如、日本へ帰国する。その後は公害や地球温暖化といった社会問題に、持ち前の数理経済学を武器に立ち向かっていく。

宇沢は「社会的共通資本」を提示した。この資本は、個々の経済主体によって私的な観点から管理、運営されるものではなく、社会全体に共通の資産として、社会的に管理、運営されるべきものを意味する。これは、全てのものは市場化されると考える主流派の「市場原理主義」とは相容れないものであり、宇沢の活動はおのずと主流派経済学との闘いの様相を呈した。それがまさにタイトルの「闘った男」の意味である。しかし、1980年代のレーガノミックス以来、市場原理主義の日本社会への浸透はすさまじく、宇沢は苦戦を強いられていく。いまや教育や医療にまで市場原理主義が進出している。

そんななかSDGsへの注目は高まる一方だ。SDGsが掲げる持続可能性と誰一人として取り残さないとする理念が、社会的共通資本の理論と響き合うのではないか。また、本書への高い支持が、この理論が資本主義のオルタナティブとして再浮上してきたことの証明といえよう。人間としての経済学を打ち立てようとした宇沢の思想が、より広く社会に共有されることを願ってやまない。

ライター画像
しいたに

著者

佐々木実(ささき みのる)
1966年、大阪府生まれ。91年、大阪大学経済学部卒業後、日本経済新聞社に入社。東京本社経済部、名古屋支社に勤務。95年に退社し、フリーランスのジャーナリストとして活動している。2013年に初の著書『市場と権力 「改革」に憑かれた経済学者の肖像』(講談社)で、第45回大宅壮一ノンフィクション賞・第12回新潮ドキュメント賞をダブル受賞した。

本書の要点

  • 要点
    1
    宇沢弘文は若くして「数理経済学」の分野において、世界で最も注目される研究者となった。
  • 要点
    2
    シカゴ大学で教授を務め、日本に帰国した後は、市場原理主義に対抗する理論として「社会的共通資本」を提唱した。これらの資本は、市場原理とは別の手法で管理、運営されなければならない。その手法がこれらの資本を公共の財産として自主的に管理する「コモンズ」というスタイルだ。
  • 要点
    3
    宇沢の考える経済学とは、「人間の心を大事にすること」である。

要約

若い数理経済学者

ケインズ経済学の浸透
ratpack223/gettyimages

まずは、宇沢弘文氏(以下、宇沢)が生きた時代の経済学の動向を概観する。1870代以降、新古典派経済学は、限界分析を確立し、一般均衡理論を築いていった。この理論によると、資源は効率的に配分され、価格は安定し、完全雇用が実現するとされた。

しかし、新古典派経済学が描く予定調和的な市場像は、1930年代の大恐慌による大量の失業をうまく説明できなかった。そこで新たに台頭してきたのが「ケインズ経済学」である。ケインズ(1883~1946イギリス)は、それまでの新古典派経済学を是正すべく、政府による経済への積極的な介入を求めた。それに呼応するように進められたのが、ルーズベルト大統領による「ニューディール政策」だ。

第二次世界大戦後、戦時の計画経済の実績に後押しされ、ケインズの経済学が、日本をはじめとする資本主義諸国に浸透していった。1960年代前半には、アメリカ・ケイジアンの黄金時代を迎えた。

新しい自由放任の時代

しかし、アメリカがベトナム戦争の泥沼に足を取られたのを契機に、世界の資本主義は1960年代半ばから不安定な兆候を見せるようになった。そこに現れたのが「新自由主義」という市場原理主義だ。

この考え方を唱えたミルトン・フリードマンらは、市場システムへの絶対的な信頼のもと、「小さな政府」「規制の緩和、撤廃」「国営・公営事業の民営化」を掲げた。そして、市場での競争を阻害するあらゆる存在を批判し、政府の市場への介入を戒めたのである。イギリスのサッチャー首相、アメリカのレーガン大統領が一挙にこの経済思想を受け入れた。そのため、1980年代以降、新自由主義の思想は世界中に普及し、現在に至っている。

宇沢の数理経済学との出会い
Delpixart/gettyimages

宇沢が若い経済学者としてアメリカに渡ったのは、1956年、28歳のときのことである。専門は当時勃興したばかりの、「数理経済学」という数学を駆使する分野だった。

もともと宇沢は、東京大学の数学科で特別研究生に選ばれるほどの数学の秀才であった。特別研究生は、助手なみの奨学金をもらいながら大学院で学ぶことができるというステータスだ。ところが、宇沢はもともと社会への関心が高く、戦争で荒廃してしまった社会の病を癒したいという強い思いを抱いていた。そんななか、マルクス経済学に心を奪われるようになり、周囲の反対を押し切って数学科の大学院を退学してしまう。

宇沢が在野の研究者として経済学を独学しているときに出会ったのが、数理経済学だ。思弁的なマルクス経済学に比べて、高度な数学を取り入れた数理経済学は、宇沢の思考によどみなく入ってきたのである。こうして宇沢はマルクス経済学から数理経済学へと転向を果たした。

アメリカでの研究生活

宇沢がアメリカで属したのは、スタンフォード大学内の「経済学の数学化」を推進する前衛集団だった。これを率いていたのが、数理経済学の第一人者、ケネス・アロー(1921~2017)だ。当時は戦後のケインズ経済学が広く受け入れられていた。

渡米のきっかけは、宇沢がアローに送った論文である。その論文では、アロー自身も解決できないでいた課題が鮮やかに解かれていた。驚愕したアローは、無名の宇沢を研究者として呼び寄せたのである。

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要約公開日 2020.05.07
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