野球人は、それぞれ自分の「野球観」を持っている。野球の指導者は試行錯誤しながら、自らの考えを軌道修正するものだ。では監督やコーチといった指導者に求められる条件とは何か。野村監督は次の5つの条件を挙げる。
(1)野球(チーム、選手)を愛している。
(2)自分の信念を曲げない。
(3)個人的感情に左右されず、選手を起用する。
(4)自分が得た理論を粘り強く選手に反復させる。
(5)これでよいと妥協をしない。
これらの条件を前提とした上で、監督はその性格や指導の手法によって5つのタイプに分類することができる。
(1)「管理」して選手を動かすタイプ(例:広岡達朗)
(2)納得させて選手を動かすタイプ(例:落合博満、野村克也)
(3)情感で選手を動かすタイプ(例:星野仙一)
(4)報酬で選手を動かすタイプ(例:鶴岡一人)
(5)実績で選手を動かすタイプ(例:長嶋茂雄、王貞治)
野村監督が尊敬し続けてきた川上哲治監督は、この5つのすべての特徴を兼ね備えていたという。
選手と監督では立場が180度異なる。このため、選手と監督のお互いへの要求も常に相反する。選手から監督への要求とは次のようなものだ。
(1)能力を評価してほしい
(2)自分に何を求めているのかを教えてほしい
(3)結果がでなくても過程を認めてほしい
(4)ライバルよりも評価が低い理由を教えてほしい
(5)自分の意見への評価を教えてほしい
一方、それに対応するように、監督から選手への要求として次のようなものが挙げられる。
(1)自主性をもってほしい
(2)一つ一つの試合が持つ意味を理解してほしい
(3)監督が何をしてほしいか、自覚してほしい
(4)野球は勝つことが仕事であると認識してほしい
(5)ファンの要求に応えてほしい
これはビジネスの場でもあてはまる。指導者がそれぞれのタイプのもつ要求を理解しておけば、部下への指示が円滑に進む。
リーダーは、部下を「信用」しても「信頼」はしない方がよい。なぜならば、「信用」は「信じて用いる」という意味であるのに対し、信頼には「任せっぱなしにする」というニュアンスが含まれているからだ。経営の神様と呼ばれた松下幸之助も、「任せて任せず」という言葉を残している。経営者は、「このままではまずい」と思ったら対策をとらねばならないし、最終的には全ての責任を持つ覚悟で臨むべきだ。
選手に任せっぱなしにしたことで、痛い目にあった例を挙げよう。1983年5月8日の巨人対中日戦で、中日の藤沢公也投手が、打者の原辰徳選手に対して、カウントを3ボール-0ストライクにした場面のことだ。当時の巨人は「積極的に打って出る」方針をとっていた。本来なら中日は痛打を浴びることを警戒すべき場面で、中日バッテリーは無警戒に真ん中にストレートを投げ、案の定ホームランを打たれてしまった。
近藤貞雄監督は、「彼らもプロなのだから、簡単にストライクを取りに行ったら打たれることぐらいわかるだろう。ここは彼らに任せよう」と任せっぱなしにしたのではないだろうか。しかし、いくら信用して選手を起用していても、マイナス因子は考慮しなければならない。今回のように、結果を大きく左右する局面では、部下に対してしっかり念を押すべきである。そのほうが部下も冷静に仕事に打ち込める。
結果論だけで選手を評価することは誰にでもできる。最初に監督が出した指示通りに物事が進めば、大成功といえる。しかし、指示通りに進まず失敗したときにも、リーダーとして監督は責任を取るべきである。たとえ失敗しようと、指示の方向性が首尾一貫していれば、部下の信頼は得られるはずだ。
野村監督がプロ入りした当時、指導を受けた鶴岡一人監督は、「精神野球」の代表であった。終戦間際に特攻隊で中隊長を務めたこともある鶴岡監督は、「打てなかったら、ぶつかっていけ」「根性だ」などと、軍隊の掛け声のような言葉をかけるばかり。打撃のいろはも教えてくれなかった。
打撃でも選手がヤマを張って打てば喜び、凡打だと「なぜヤマを張るのだ」と怒る。指導者たる者は、このような結果論で物をいってはならない。
相手が望んでいることや、相手の性格を知るための一歩は、相手を観察することである。会話の際の表情や言葉の端々から、相手の人物像を想像する。そして、相手に合わせたコミュニケーションを取ることで、間違いが起こりづらくなる。
野村監督は捕手として常に打者を観察してきた。打者の一挙手一投足から、何を考えているのか、狙い球は何なのかを探ろうとした。
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