「ふとした偶然をきっかけに人生が変わるような幸運を得ること」を、「セレンディピティ」と呼ぶ。
たとえば科学の分野において、「うっかり実験ミスをしたことが、新しい発見に繋がった」という話を聞いたことはないだろうか。このようなセレンディピティは誰にでも起こりうるものであり、コツさえ掴めば簡単に再現可能である。ふだんの返事を少し変えるなど、ちょっとしたコツを実践することで、「気づいたら、素敵な偶然がよく起きている」という状態はつくれる。
セレンディピティとは、「出会いの頻度」と「気づき」の掛け算の結果として生まれるものだ。縦軸に「出会いの頻度」、横軸に「気づき」の多寡を取り、4つの象限でセレンディピティの生まれやすさを分析すると、以下のようになる。
右上は「出会いが高頻度かつ、気づきが多い」、ハイ・セレンディピティの象限であり、常によい出会いがあると感じられる状態だ。
右下の象限は「出会いが低頻度だが、気づきが多い」というロー・セレンディピティを示す。年に1度ほど、よい出会いがあると感じられる状態だ。
左上の象限は、「出会いは高頻度だが、気づきが少ない」、まぐれ・セレンディピティの状態だ。いろいろと出会いの機会を増やしているのに、よい出会いはなかなかないと感じられる状態を指す。
最後に左下の象限は、「出会いが低頻度かつ、気づきも少ない」、つまりノー・セレンディピティの状態である。
たとえチャンスの頻度が高くても、幸運に気づかなければセレンディピティには至らない。気づきが多い人でも、新しい出会いの頻度が少なくなると、その力を生かす事はできないのである。
シンクロニシティ(共時性)は「驚くべき偶然の一致」を指す言葉で、「学生時代の恋人と道でばったり出くわした」というような事例を指す。これによって人生が好転することもあれば、ただ驚いただけで終わることもある。予測できない事態であるため、事前に備えておくことは難しい。
一方でセレンディピティには、発生した偶然の出来事に意義を見出し、よい機会と捉えられるという気づきがある。先ほどの恋人との偶然の再会を例にとると、その偶然に意義を見出すことができれば、再会をきっかけに「久々に同窓会でも開催しよう」という行動につながるかもしれない。
このような行動は、普段からゆるいつながりの活かし方を心得ているからこそ、達成できるものだ。日常のちょっとした機会をきっかけにセレンディピティを発生させることで、人生ががらりと変わることもある。
人間は基本的に人見知りだ。知らない人がたくさんいれば気まずいし、自分はこの場に受け入れられるのかどうか、不安に思うものである。一見社交的に見える人ですら、はじめての人々との出会いにおいては、不安や疲れを感じることが多いという。
これは近年流行している「オンライン飲み会」でも同様だ。
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