「人工知能」の話を聞いたとき、「思っていた人工知能と違う」と違和感を抱いたことはないだろうか。その違和感は、日本の社会や文化の様相が、西洋の提示する「人工知能」と対立することから来ているのかもしれない。本書では、東洋が求める人工知能を「人工知性」という言葉で表現し、西洋の「人工知能」と東洋の「人工知性」の対立を、発展的に統一することを目標とする。
東洋と西洋は、対照的な知能観を持っている。西洋では「人工知能はサーバント(召使い)である」という、人間中心主義の考えが一般的だ。人間の知能を模倣するように人工知能を作り、人間との上下を明確にし、立場の逆転を恐れる。『ブレードランナー』(1982年)で短命のアンドロイドたちが自分たちを作り出した企業に反抗するように、西洋のフィクションに出てくる人工知能は、たいていの場合は人間への反逆を企てる。
一方、日本は自然中心主義の中で、人間とは異なる横並びの存在として人工知能を作り、同胞として受け入れる。『鉄腕アトム』(手塚プロダクション、1963年)に代表されるように、日本のフィクションの人工知能は人間と対等な友人として描かれている。また、キャラクターに対する思い入れが強い日本は、人工知能を受け入れるために「キャラクター化」を必要とすることも一つの特徴だ。
この日本特有の土壌に立脚し、日本は「キャラクターエージェントとしての人工知能」という分野を発展させることができるはずだ。この分野は、日本が人工知能の領域でリードを取れる可能性のある数少ない分野でもある。これを活かすには、日本の土壌を認識した上で、人工知能を探求していくことが重要となる。
「考えるべき要素」「それに対する操作」「設定されたゴール」のセット、いわゆる「フレーム」を与えられたとき、人工知能は人間よりも圧倒的に優秀な答えを出すことができる。ところが、「閉じられた問題」としてフレームが与えられたときには優秀な人工知能であっても、フレームの外へ一歩出るとたちまち無力になってしまう。囲碁AIが囲碁以外の何かをできるようになることはない。これが「フレーム問題」だ。
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