著者はSDGsのことを知ったとき、校長先生の “朝礼のあいさつ”のようだと思った。「貧困をなくそう」(目標1)、「飢餓をゼロに」(目標2)、「質の高い教育をみんなに」(目標4)、「海の豊かさを守ろう」(目標14)、「平和と公正をすべての人に」(目標16)など、どれも当たり前で、反対意見など出るはずもないものばかりだ。きれいごとのように感じられ、心に響かなかった。
この印象が変わったのは、少し時間がたってからのことだ。「当たり前で、誰も反対しないこと」なのにいまだに解決されていないのはなぜだろうという疑問が湧いてきたのだ。それと同時に、「これまで問題を放置してきた政府やメディア、民間企業が一斉に『SDGs』を唱えるようになったのはなぜなのだろう?」と思うようになった。
この疑問を解くカギとなるのは、SNSだ。熱意や希望、願望、世の中のダメなところやドロドロした感情……SNSは、こうしたさまざまな思いを、普通の人が率直に語る場として機能し、少し子どもっぽいピュアな投稿が好まれる傾向がある。SDGsの17の目標が広まったのは、SNS的な社会によって「きれいごと」を言いやすくなったからだろう。それが著者の結論だ。
SDGsと切っても切れない関係にあるのが「ESG(環境・社会・ガバナンス)投資」だ。ESG投資は、今や世界の投資マネーの3分の1を占めているとされている。要するに、投資家が「社会課題に取り組む企業」を評価するようになったということだ。
SNS社会において、社会課題に配慮した新しいビジネスや取り組みの評判は、ネットを通じてあっという間に広がっていく。そして市民の価値観が投資に影響を及ぼし、企業をも動かす。SNS社会ならではの動きである。
現代社会においては、スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンベリさんのような人が自らのアイデンティティを賭けて、SNSで声を上げる。若者であろうがシニアであろうが、企業の商品やサービス、価値観に対する意見を発信する時代がやってきている。
本書では、声を上げる人たちを「SDGs時代の市民(以下、SDGs市民)」と位置づけ、これからの企業と個人の関係を考えるうえで重要な2つのポイントを挙げる。
1つ目は、SDGs市民たちが企業に向ける視線が「無限である」ということだ。これまで企業に向けられる視線といえば、株主・メディア・消費者団体のものに限られていた。だがSNSの普及によって、市民たちの視線が可視化された。差別的な表現が含まれるCMを流せば、スマートフォンで録画され、あっという間に国内外へ拡散されて炎上するとともに、視線が無限に増殖していく。
2つ目は、無限の視線を注ぐ「SDGs市民」がどこの誰で、いつ、いかにして声を上げるのかがわからないことだ。企業側からすれば、SDGs市民たちは不気味な存在だといえよう。
発信者は、意見とともに自分の内面や価値観を明らかにすることで、そうした発信が自らのアイデンティティを賭けたアクションであることを伝える。「社会課題を解決したい」というSDGs市民たちの思いが共感を呼び、さらなるパワーを生んでいる。
SDGs市民の一人として、23歳の大学院生、能條桃子(のうじょうももこ)さんを取り上げよう。
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