「わたしたちの暮らす社会は、一人ひとりが支え合っている」。そう聞いても、なかなか実感がわかない。むしろ生活を支えているのはお金だと思ってしまう。しかし、働く人がいなければ、お金に価値はない。蛇口をひねるだけで水が飲めるのは、水道代を払っているからではない。見知らぬ誰かが働いてくれているおかげだ。
自分の財布の中ばかり見ていては、社会と切り離されてしまう。安心した老後を送るには、お金さえ貯めておけばよいと考える人が多いが、そのままでは幸せな未来にはたどりつけない。「お金には価値がある」としか書かれていない「経済の羅針盤」では不十分なのだ。
かつて、紙幣は金(きん)と交換する約束の「預かり証」だった。両替商に金を預けた預かり証を、取引の支払いに使っていたのだ。後に、紙幣を発行できるのは日本銀行だけになり、貨幣制度の発達とともに、金と紙幣の交換義務はなくなった。いま紙幣を日本銀行に持ちこんでも、何かと交換してくれるわけではない。
それでも私たちが紙幣を欲しがるのはなぜか。じつは、「脅されている」のだ。紙幣を手に入れないと、刑務所に入れられてしまう。なぜなら税金は円貨幣(紙幣や硬貨)で払わなければいけないという法律があるからだ。
紙幣自体には価値がない。しかし、税金システムの導入によって、個人にとっては価値が生まれる。すると、政府から円貨幣をもらうために、一部の人たちが公務員としてみんなのために働くようになり、その他の人もお互いのために働くようになる。だから経済の羅針盤はこの2項目に書き換えられなければならない。「個人にとって、お金には価値がある」「社会全体にとって、お金自体には価値がない」。
もし、紙幣をコピーしてよいことになったらどうなるだろうか。納税から解放され、楽になると思うかもしれない。実際には、困るのは国ではなく、納税者たち自身だ。
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