資本主義は自由市場を前提とする経済的・政治的システムというマクロな構造に目がいきやすい。しかし、本書では資本主義を、個々人が行うミクロな振る舞いの総合的な表出としてとらえ、「将来のより多い富のために現在の消費を抑制し投資しようとする心的傾向」と定義する。具体的には、資格取得のためにマンガ本ではなく参考書を買うことや、子どものために節約して学費を積み立てるなどの行為がこれに当てはまる。こうした資本主義的経済行為を生み出すには、2つの必要条件がある。
1つ目は「計算可能性」である。資本主義と計算が結びついていることはイメージしやすいだろう。資本主義的経済行為では、競争と交換、資本の投下、利潤の追求など、計算に立脚した意思決定に基づいて経済行為が行われる。資本主義が定着する以前はそうではなかった。計算の能力があるだけではなく、計算が「許されている」状態でなければ、計算はできない。たとえば、前資本主義的な時代のフランスの石屋は、家を建設した後、報酬として現金を受け取り、加えて食事を振る舞われることが慣行だった。ところが、ある石屋が食事をせず、食事代に相当する金額を見積もって請求したところ、村中から大顰蹙を買うこととなった。このように前資本主義的な社会では、計算が拒まれたり、隠されたりしてきた。計算をするにしてもざっくりと見積もられ、利益の確保ではなく、信頼関係の維持が目的とされた。
もう1つの条件は「直線的な時間感覚」だ。今、私たちが当たり前に持っている、「時間が未来に向かってまっすぐ進んでいく」という感覚は、ユダヤ・キリスト教文化によって広がったとされる。直線的な時間の観念があるからこそ、未来の予測や、将来の利潤の計算が可能になる。
直線的な時間感覚に対して、円環的時間という観念がある。これは特に農耕社会において重要な春夏秋冬を繰り返す四季や、仏教の輪廻転生という思想に関連している。
直線的な時間の観念のもとで未来について予測し、そこでの利潤を計算できるからこそ、人は資本の投資の仕方を判断できるのである。
「計算可能性」と「直線的な時間感覚」を必要条件に持つ資本主義には、「拡大」の原動力が内在する。たとえば、資本主義は「射程とする時間軸」を拡大してきた。人間にとって、その日を生き延びることは重要だ。食料の確保という経済活動の最短の射程は1日である。農耕社会は、農作物を植えてから収穫するまでの数か月から1年後を見据えた活動が求められる。前資本主義であれば、集団の成員が生活するに足る単純再生産と再分配が行われる。
資本主義へと移行した場合、時間的射程はより長くなる。12〜15世紀にかけて発展した遠隔地交易では、資金やリスク軽減の必要に駆られた商人たちが、共同出資による期限付き会社を設立した。1602年のオランダ東インド会社(VOC)設立を契機に、時間の射程は終わりを前提としないほど拡大した。企業活動は、もはや無期限に続くことが前提となった。
資本主義は拡大を志向し、常にその余地を必要とする。次なる拡大余地、資本主義の最前線をフロンティアと呼ぶならば、現在はそれが人間の頭の中、すなわちアイデアに移ってきている。
資本主義は、産業革命を契機に突然出現したわけではない。様々な地域で生み出されたそれぞれ違った形の資本主義が、徐々に集約され、「ヨーロッパ的な意味での資本主義」の発展に結びついたのだ。
12世紀頃、地中海地域を中心としてヨーロッパ経済が栄え、15世紀頃までに、ヨーロッパにおける資本主義が確立された。この時期、期限付きではあるものの会社が設立され、時間的射程は拡大。商人一人の人生の安定を超え、子孫への富の継承が求められはじめた。この時期のフロンティアは、地中海と、それを越えたイスラム世界だ。
16世紀以降は地中海交易の恩恵が薄かったヨーロッパ諸国が、新たなフロンティアを求めて大西洋へ進出する。スペインがアメリカ大陸の植民地化を進めるなど、各国による植民地争奪が起こる。この時代、VOCをはじめとした株式会社が登場し、証券取引所の発達などの高度な金融の進展も見られた。
18世紀末にはアメリカが独立を果たし、ヨーロッパ資本主義にとっての広大なフロンティアは消滅する。以降は、アメリカ国内のフロンティア開拓として、インディアンを掃討しながらの西部開拓が進められる。
西部開拓が終わると、アメリカは国内のフロンティアを失い、ラテンアメリカや太平洋、アジアへ進出していく。内線・紛争によって不安定な状況にあったサブサハラ・アフリカは、最後のフロンティアとして残り続けた。しかし現在では、そこですら資源開発が加熱し、地球上の空間的なフロンティアはほとんどなくなったといっていい状況になった。
狩猟採集社会では、時間の射程は将来に及んでいなかった。必要以上の食料を確保できる環境であったにもかかわらず、追加の食糧を確保するより余暇が選択されていたのだ。アクターの時間的射程は、「いま」である。
農耕社会は季節のサイクルにあわせて「1年」という時間のスコープを持っていた。しかし、「いま」の消費を抑えて「将来」のより多い富のために投資するという感覚は薄い。あくまで、単純再生産が中心だった。
資本主義が発達する初期の段階では、商人たちの時間的スコープは彼らの生涯にとどまっていた。カトリック的な思想では富自体が悪という考え方もあり、資本主義の時間的スコープは長期化しづらかったのである。蓄財への罪の意識から、商業で成した財産を子孫に残すには至らなかったのだ。
資本主義の発達に伴い、富に対する考え方が緩和すると、「生涯」から「家」へと時間的スコープが伸びていった。これと前後して、企業の原型が生まれる。遠隔地交易の大規模化に伴って、商人が共同出資をする、数年限定の会社が設立されるようになったのだ。
この流れで設立されたVOCによって、会社の存続期限は「積極的には期限を設けない」状態になる。さらに、株式会社は発展の過程で、「ゴーイング・コンサーン(Going Concern)」が徹底されるに至った。これは、企業が将来に渡って存続し、事業を継続するという前提のことだ。いまや、企業は「無期限に継続させる」ことが当たり前になっている。
こうして、時間のフロンティアは、どんどん長期化してきた。これ以上拡大しようのないほどの未来が、企業の時間射程には織り込まれているのである。
産業革命以降は生産量と生産性が急速に拡大し、生産=消費のフロンティアの開拓が進んでいく。
大量生産・大量消費時代の初期は、モノが不足していたのでどんどん売れた。「モノ余り」といわれるように、モノは行き渡り、飽和している。少子高齢化で消費の伸びが期待できないことに加え、空間のフロンティアの消滅で国外消費も望めず、消費量の拡大は頭打ちだ。生産性という観点からも、安価な労働力と資源を無尽蔵に投入できる時代は終わりを告げ、生産量(消費量)・生産性ともに限界が来つつある。資源にも課題が見られる現在、残されたフロンティアは少ない。
「空間」「時間」「生産=消費」いずれの領域でも、伝統的なフロンティアは消滅した。ターニングポイントを迎えた資本主義は、新たなフロンティアとしての「アイデア」に資本が集まるようになってきている。
一昔前であれば、基本的にアイデアに対して融資が下りることはなかった。アイデアは生産手段の前駆体に過ぎなかったのだ。しかし、いまやアイデア自体を売り込んで出資を受けることができる時代である。本書ではそれを「アイデア資本主義」と呼んでいるわけだが、ここに至るには3つの条件があげられる。
1つ目は、伝統的なフロンティアの消滅だ。開拓されうるフロンティアがあるときには、実現するかわからないアイデアへの投資は、一般的ではなかった。これまでのやり方が通用しない状況でもなんとか成長しようとするのは、資本主義の性質だ。フロンティアの消滅を機に、アイデアはリスク含みの投資対象になった。
2つ目は、資本のコモディティ化である。モノ余り・カネ余りによって、資本はだぶついている。日本でコーポレート・ベンチャー・キャピタルが増えたのは、資本があっても、活用方法に困る大企業が増えたからだ。カネの価値が下がり、投資先が見つからない状態だからこそ、アイデアにまで資本が集まるのだ。
3つ目は、「わかりにくい世界」だ。モノが溢れコモディティ化した結果、技術力があってもヒット商品になるとは限らない。スペックよりも使用した人の体験が重視される時代となったためだ。機能で訴求できなくなり、どうすれば消費者にウケるのか捉えづらくなった結果、わかりやすく魅力的なアイデアで投資家に訴求することが重要な時代になったのだ。
Pebbleというスマートウォッチを開発したPebble Technology社は、クラウドファンディングを活用してアイデアを資金に変えた好例だ。投資家からの資金繰りに苦戦していた同社は、資金提供者に完成品を届けることを条件に、10万ドルを目標としてクラウドファンディングを行った。目標額の100倍を超える資金調達が実現し、資金提供者は寄付額を上回る定価の製品を手にした。つまり、同社は自社株を売る代わりに、自社製品の割引券を配布したということになる。
ベンチャー・キャピタル(VC)から投資を受ける場合には会社の持ち分を差し出す必要があるが、資金の出し手が消費者になったことで、その必要がなくなった。アイデア資本主義では、アイデア自体が投資対象となるだけではなく、アイデア次第で財務戦略上の選択肢を広げることも可能なのだ。
こうした流れを受け、まだ利益どころか売上も事業計画もないシード期のアイデアに対して、積極的な投資を行うVCが増加した。アイデア段階という早期に投資することで、投資先がエグジットした際に大きなリターンを得る可能性をねらってのことだ。しかし、大きな利益を得るためには、アイデアの可能性を評価し投資しなければならない。だからこそアイデアの良し悪しを見分ける眼が必要だ。革新的な技術開発の成功を謳い資金を集めたにもかかわらず、後にその技術は存在しなかったという例や、集めた資金を持ち逃げする悪質な事例も存在する。アイデア資本主義では、アイデアをハンドリングし実現に向けて育てる戦略や、アイデアだけでなく事業者が信頼に足るかを見極める眼が非常に重要だ。
本書は脱資本主義とは別の見解を持つ。
人々のミクロな行動の総和として社会現象が存在する。資本主義社会は、そうした人々のミクロな選択の総合的な表れとしてマクロ的に感知されるものだ、というのが本書の立場だ。人が自分の将来について考えたり、目標を立てたりする行為の中に、資本主義の本質が含まれている。資本主義的な経済活動を禁止したとしても、一人ひとりの切実な生への欲求から資本主義はまた生まれ、拡大していく。資本主義は簡単に付け外しできるようなシステムではないのだ。
資本主義は社会や個別の状況に応じて異なる形で生じ、形を変えてきた。つまり、私たち自身で資本主義の形を変えていけるのだ。
歴史を振り返れば、資本主義には正の側面も負の側面もある。負の側面ばかりに目を向け、資本主義を捨てて別のシステムへと移行しようとするのではなく、資本主義自体をアップデートしようとすることが現実的かつ建設的だ。いま再び知恵を出し合って、いや、アイデアを出し合って、解決策を見つけていくべきときを迎えているのではないだろうか。
3,400冊以上の要約が楽しめる