2020年にアニメが大ヒットした漫画『鬼滅の刃』の中心テーマには、「神話から読み解ける部分がある」という。本作では、人間と、ほぼ不死身の「鬼」との戦いが繰り広げられている。そして、主人公の竈門炭治郎と妹が表す「家族愛」と、鬼が体現する「自己のみで完結していて愛はない」という価値観の対立として読み解くこともできる。
こうした対立の典型例である「バナナ型」は、インドネシアの死の起源神話に見られる。この神話では、バナナの木と石が、人間はどうあるべきかについて激しく議論する。石は不老不死だが、増えすぎて世界の秩序を乱さないよう家族を持たない。一方でバナナは死んでしまうが、子をなして種を存続させられる。結局石が谷底に落ちてしまったことで、人間は死すべき存在になった。
『鬼滅の刃』でも、死なねばならない人間は家族の絆で結ばれ、永久不滅の存在である鬼は家族への憧れをもつことしかできない。滅びの時を迎えてはじめて、鬼は人間であった頃の愛の記憶を思い出すのだ。
このように、現代の「物語の原型は神話に出尽くしていると言っても過言ではない」。しかしそれは作品の良さを毀損するものではなく、むしろこれによって、神話に新たな生命が吹き込まれている。
2021年に完結した漫画『進撃の巨人』に「ユミル」という人物が出てくるが、「ユミル」という名の巨人は、10世紀頃にアイスランドで編纂された『エッダ』に登場する。
『エッダ』のユミルは原初の巨人であり、ユミルを養う牝牛がなめていた石から生まれた人間の子孫によって殺される。その死体から大地や海、人間の住む場所であるミズガルズなどがつくられた。
これに似た「世界巨人型」の神話として、原初の女神ティアマトの殺害(メソポタミア)や、巨人・盤古の死(中国)もある。私たちは、死体からできた世界に生きている。
神々は、増えすぎた人間を滅ぼすために大洪水を起こすことにした。情け深いエア神は人間の賢者に、船を造って逃げるよう知らせる。その船にはすべての生き物の雄と雌も乗せた。6日6晩の間、洪水が世界を覆い尽くした後、賢者は鳥たちを放ち、最後に飛んでいった大烏は水の引いた地面に食物を見つけて戻ってこなかった。
これはメソポタミアの『ギルガメシュ叙事詩』だが、『旧約聖書』の「創世記」に書かれた「ノアの箱舟」が影響を受けているのは明らかだ。メソポタミアと古くから交易していたインドにも同様の神話が残されている。
これ以外の洪水神話でも、「世界をいったんリセットし、新たな世界を創り出す」という構造は共通している。
2019年公開のアニメーション映画『天気の子』は、現代の洪水の話として分析できるだろう。雨が降り続く原因となっている巫女が天に引き上げられることで、関東地方に夏の晴れ空が戻ってくる。しかしこの少女を慕う少年が天に昇り、彼女を連れ帰ることによって、再び地上に雨の日々が帰ってくる。そうして数年後、低地に人が住めなくなった。
これは、洪水によって秩序ある世界を生み出した神話と、正反対の構造をもっている。また多くの神話では、天界から舞い降りた天女が、地上から天へと戻っていくという筋書きが多いことを考えると、その点でも『天気の子』は「反神話的物語」と言えるだろう。
最近のゲームにも神話とのつながりがある。著者が選んだ題材は『パズドラ(パズル&ドラゴンズ)』だ。
この作品にはドラゴン(蛇・トカゲ型の怪物)の姿をしたインドラが出てくるが、インドラは蛇の怪物ヴリトラを倒したインドの神である。『パズドラ』では自らの敵である蛇を模した姿なのだ。
ゲームにはヴリトラもモンスターとして出てくるが、インドラとよく似た形をしており、光と闇で属性が正反対なだけである。
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