今まで言葉にできなかったけれど自分が感じたことがまさに書いてある。マンガや小説に触れているとそういう瞬間がある。そうした感動を誰かに伝えたくてものを描いているという部分がありますよね、とよしながふみ氏が問いかけると、対談相手である小説家の三浦しをん氏も同意する。小説でもマンガでも読むことがなかったら自分で書くこともない。読む喜びが根底にあり、書くのは辛いばかりだという。
こうした感動がほしいと思ったら、少年マンガではなく少女マンガを読むことになる。少年マンガの基本的なテーマは「努力・友情・勝利」だ。それに対して、少女マンガが扱う題材は広い。一様にいえるのは、少女マンガは「マイノリティのためのもの」ということではないかとよしなが氏は指摘する。女性というだけで、経済的にも権力の担い手としても、腕力の面でもマイノリティだ。「たたかって一番になる」ことができない人、いくら少年マンガを読んでも「頑張ればなんとかなる」と信じられない人が読むのが少女マンガだ。
女性がだんだん自己表現できるようになってきた今、少女マンガが売れなくなってきているのは必然といえるだろう。いまや女の子も少年マンガを楽しく読めるようになったのだ。それでも、男女問わず抑圧された人のためのマンガとして、少女マンガがあるのだろう。
少年マンガと少女マンガには異なる文法がある。少年マンガは時系列順に話が進むのが基本だ。一方、少女マンガは過去と現在が交錯する。よしなが氏は『西洋骨董洋菓子店』で過去と現在を交錯させて描いたが、少年マンガの文法に慣れている人にはこれがわかってもらえず驚いたという。
一方、三浦氏は人気少年マンガ『ONE PIECE』が読みこなせなくなってきたと告白する。最初はそうでもなかったが、だんだんとコマを読み解けなくなり、何が起きているかを理解するのに普通のマンガの3倍くらいかかるようになってしまった。何がわからないのかわからないと吐露する三浦氏に、よしなが氏は『DRAGON BALL』の洗礼を受けていないからではないかと問いかける。
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