著者には『ブラック・ジャック』を読んで医者を志した知人が多くいる。
ブラック・ジャックは、モグリの闇医者でありながら、医者の鑑のように敬愛されている。その理由は、救命困難な患者さえ救う天才的な腕前以上に、悩んでいる姿にこそある。
作中にも出てくる「医は仁術なり」とは古い格言だ。医者の任務は命を救う博愛の営みという意味だ。死ぬかもしれない人の命を助けることができる。それは神様が人間を助けるようなものだ。しかし、医者自身が神であるかのようにおごってはいけない。
ブラック・ジャックは、救えると思った命が救えず、自分は神ではなく、人も殺すとつぶやいた。命の恩人を救えなかったとき、「人間が生きものの生き死にを自由にしようなんて、おこがましいとは思わんかね……」という言葉が脳裏にこだました。
医学は不可能と知りながら、生き死にを自由にしようと足掻く営みだ。ブラック・ジャックは医学の力を諦めず、「それでも私は人をなおすんだ」と叫ぶ。救えない命を前に、医者は開き直るでも、諦めるでもなく、悩み続けなければならない。
ブラック・ジャックは誰より優しく、悩んでいる医者だ。患者に向き合う真摯な、しかし哀し気なまなざしが全てを物語っている。
ブラック・ジャックは名医として通っていながら、有名な大学病院の外科部長や教授ではない。むしろ、無免許の彼に肩書きはない。医者かと尋ねられるといつも、「まあそんなようなものだ」と曖昧に答えるばかりだった。
医師免許をもらう機会に何度か巡り合うものの、自らそれを放棄し、あえて無免許医として生きている。それには二つの理由があると思われる。
一つは権威への反発だ。賞も肩書きも、いわば権威の象徴だ。手術痕でつぎはぎだらけの外見で、不遇の人生を送ってきた彼は、見せかけの権威主義的なものを嘲笑的に見ている。
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