医者も僧も哲学者も、人間はみな必ず死ぬ。高齢社会と言われるようになって「老い」、「病い」、「死」をテーマにした書籍やテレビ番組などが多く見られるようになった。本書ではこうしたテーマについて、著名人ではなく、巷に生きる人たちの言葉を軸に考えていく。
まず、長寿でトップ(1994年当時、データ等については以下同様)の沖縄県那覇市にある泉崎病院の医師、看護師、患者による川柳をいくつか紹介したい。
「百薬を飲み過ぎ万病で入院中」
「わからないことは老化と医者は言い」
「人生は紙おむつから紙おむつ」
こうした句にひそむ実感こそ重要である。「説教や理屈でなく、病院を舞台にして笑いながら本質をついている点を学びたい」と著者は書く。
次に、著者が旅暮らしで集めた人々の言葉から、「老い」について考える。
「日本の高齢者問題なんですから、日本語でやっていただきたい」
行政の使う言葉には横文字が多すぎる。たとえば「アメニティ・タウンのニーズによるデイサービスを考える会」という名前の集会には、福祉関係の若い役人しか集まらなかったそうだ。「国際的」とは、やたらに横文字を使うことではない。
「旦那は定年後のことをいろいろ考えているんだけど、私は未亡人になってからのことを考えているの」
平均寿命から考えると、女性のほうが長寿である。老人ホームでは85%が女性であり、未亡人の世界なのだ。特に、夫を見送り、死後の整理をするのも妻の役目と考えられていた世代では、妻のほうが若い。ただ、最近はむしろ夫のほうが若い夫婦も増えている。
「歳をとったら女房の悪口を言っちゃいけません。ひたすら感謝する、これは愛情じゃありません、生きる智恵です」
これは下町の、道楽ばかりしていた頭の言葉だ。この夫婦は喧嘩ばかりしていることで有名だったが、老いてからはその仲の良さで評判になった。夫婦喧嘩は離婚の原因にも、日常の活力にもなる。「最後に笑えればそれが幸福」なのだ。
「これからは老人が増えるから、どうこうしなければいけないって……。老人が増えることが、いけねェことのように言う奴がいるでしょう。あァいう奴は、手前が歳をとらないと思っているのかねェ」
厚生省の福祉担当者が大学を出たばかりの若者なら、老人問題を理屈ではわかっていても、身体で理解できていない。この中に身体で考えることのできる定年後の老人が1人でもいれば、福祉行政は変わるはずだ。
「老人を預けに来た家族が週休2日制でさ、その老人を世話している俺たちが、なんで休みがとれないんだよ! 他人に親を押しつけやがって、面会に来て孝行面をするんじゃねェよ」
これは、老人ホームで働く介護職の若者が吐きすてるように言った言葉だ。預ける家族にも事情があるだろうが、介護をする側の不満がたまっている。双方が笑顔でいられる施設はいつできるのだろう。
「老人ホームはお洒落な二枚目のお爺さんを探しています。素敵なお爺さんがいるだけで、お婆さんたちが、みんないいお婆さんになりますから」
これは九州の老人ホームで聞いた話だ。戦前に上海でピアノを弾いていたという粋な老人が入所した。いつも赤の細身の蝶ネクタイをし、どのお婆さんにもレディとして向き合う。彼が園内を散歩するようになると、みな少女のように愛くるしくなった。
「90歳で元気なバアさんに、牛乳を飲むと長寿になるから、がまんして飲みなさいって医者が言うんだってさ。……バアさんは、この年になって今さら嫌いなものはいやだって言ってるんだよ」
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