日々何気なくやっているさまざまなことに対して、「それって本当に自分がやりたいこと?」と問いかけてみてほしい。
周りに流されていたと思い当たる節がある人は、同調圧力に飲み込まれてしまっている状態と言える。同調圧力は、職場、近所付き合い、家族関係など、いたるところに潜んでいる。
同調圧力に屈してしまう原因は、「従わなければ、みんなから見捨てられて孤立してしまう」という恐怖である。それは、幼い子どもに対して親が「いうこと聞かないと置いて帰るからね!」と孤立をちらつかせる状態に例えられる。
同調圧力に従わされている状態とは、幼い子どもの状態に戻ったようなものであると、著者は説く。かつて孔子は「三十にして立つ、四十にして惑わず」と言ったが、大人は30歳までに独り立ちできていて、孤立する感覚に引きずられない自立した存在のはずである。しかし多くの人が同調圧力に屈してしまうのは、多くの現代人の中身が子どものままの状態だからである。
SNSの普及は、同調圧力という言葉を一般化させた。SNSでは、世の中的によいことだと信じられているものを、人に押し付ける構図になっている。
SNS発の同調圧力が厄介なのは、誰かを傷つけても「みんなが思っていることを自分が代弁しているだけ」といった認識になりがちな点だ。SNSで同調圧力をかける人は、世論の名の下に、孤立しないことを分かった上で人を叩く。つまりこれらの人も、もとを正せば同調圧力に屈従する人であり、孤立する恐怖の有無によって態度を変えうる「子ども」の状態だといえる。
著者は、同調圧力に従って子どもと化した人を「同調圧力チルドレン」と名づける。そうした人の根底には、自分が何をやっても許されるという感覚が存在する。ちょうど子どもが「自分は子どもだから大人に何をやっても大丈夫」と戯れにパンチやキックをするように、コロナ禍における「自粛警察」や「マスク警察」もまた、相手の状況を尊重することなくやりたい放題なのである。
同調圧力チルドレンの状態と全く無縁な人などいない。人を正すことの正当性についての明確な線引きは難しいが、例えば信号無視を考えてみる。それを取り締まるのは警察の仕事であり私たちではない。
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