夫婦ゲンカでパートナーを、営業の場面で相手を、職場で上司を論破しても、プラスになるとは限らない。営業ならば相手からモノを買ってもらうことが目的である。相手を言い負かすことで、相手から「絶対に買わない」と思われてしまっては意味がない。上司を論破したことで転勤させられる人もいるだろう。
まず覚えておきたいのは、実生活において「論破力は諸刃の剣」であるということだ。そのため、論破力の取り扱いには注意しなければならない。論破力はあくまで人生をうまくいかせるための手段であり、論破したその先の人生まで想像しておく必要がある。
著者は、自身の感情ベースではなくて事実ベースで話をすることが多い。「事実に対抗するのはものすごく難しい」からである。
たとえば、「犬は魚を食べますよね」と言ったときに、「いや、食べない」という反論を成立させることは困難である。犬が魚を食べるのは事実だ。そのシーンを動画で見せると言った時点で、ゲームオーバーとなる。
スポーツやゲームでも、とてつもなく難しいことをやろうとすれば人間は失敗するものだ。事実を覆すことは、これに似ている。
もっともらしく聞こえる意見よりも、事実の方が断然に強い。
論理的に話し合う場面では、論理的に負けた方が敗北を認めざるをえない。だから、いきなり殴りかかってくるようなタイプではなく、「論理」という土俵で戦おうとする人は、実は説得しやすいのである。たとえ小学生であっても論理で勝てば、説得可能となるのだ。
論理という道具を使えば、自分がどんなに不利な状況でも何とかなるものである。自分のやりたいことを押し通したい時こそ、論理的な手段は有効となる。
「これが好き」「これは面白い」といった「個人の主観による評価や判断」に関しては、議論しても意味がないと著者は考えている。
「私が好きだから、こうなのです」という言い方はビジネスシーンでも多い。たとえば、デザインやネーミングは、「好き・嫌い」をベースにしたもので「これ」という答えが出せない。これらに対していくらがんばって手直しを加えても、100点満点になることはない。だから、そうした分野はなるべく人に任せたいと著者は書く。
しかし、会社の会議で商品デザインのA案とB案を選ぶ場面など、答えのない議論をしなくてはならないこともある。こういう時はシンプルに、統括的な立場の人に従うのも手だ。自身の好みはA案だったとしても、上の人がB案と決めたのなら、それ以上は無闇に反論しない。「好き・嫌い」には答えがないので、答えのないところでどれだけ戦っても、結局時間の無駄になってしまうかもしれない。それなら、責任ある人に任せるのが筋だ。
もちろん「好き・嫌い」と感じる理由はあるだろうし、それをはっきりさせておくことは望ましい。なぜ上司はB案を選んだのかを考えて、自分なりに仮説を立てて対策しておくことが大切である。
テレビやネットでの討論番組と同じように、ビジネスシーンにおける議論の場でも、そのやりとりを見てジャッジする人がいる。意識すべきなのは、「目の前の相手と討論することよりも見ている人に自分をどうプレゼンするか」である。
ジャッジする人の基準を考慮して、その人たちに何を見せるべきかを考え、手持ちの「勝ちパターン」を順番に試して、議論に勝つことを目指す。
3,400冊以上の要約が楽しめる