ヨーロッパとアジアを合わせて「ユーラシア」と呼ぶ。これにアフリカを加えた「アフロ・ユーラシア」という呼び名もある。ある一定の価値観やイメージがつきまとう「旧世界」「旧大陸」などの呼び方に比べ、ユーラシアやアフロ・ユーラシアは乾いた表現である。
地球上の陸地の主要部分はユーラシアと北アフリカに偏在しており、そこが長らく人類にとっての「世界」であった。人類の歴史である「世界史」が「ユーラシア世界史」である時代が長く続き、現在に至る「地球世界史」の時代になってからはまだ日が浅い。
ユーラシアの海に近いところは緑が濃いが、内陸に入ると乾燥地帯となる。この乾燥が共通項となった地域をひとまとめに「中央ユーラシア」と呼ぶ。アジアだけでなく、ヨーロッパにまで及ぶ広範な地域だ。中央ユーラシアは巨大だが同一性の高い生活圏である。北から順に横縞の帯状に、タイガ、森林草原、ステップ、半砂漠、砂漠が広がり、人々の暮らし方は狩猟、牧畜、遊牧、農耕、商工業などの単純な区分となる。生活のし方が、人種や言語の違いとは別の区分の指標となっている。
乾燥を第一の共通項とする中央ユーラシアにおいては、そこで暮らす人々の意識や価値観も共通性を帯びている。複数の地域単位からなる巨大地域であり、歴史上、密接・不可分の関わり合いの中で動いている。
この巨大地域である中央ユーラシアの歴史がひとまとまりに語られることは少なかった。古くからあるのは「東西文化の通過点」というシルク・ロードのイメージである。東の中国文明と西のイランや中東、地中海地域が、「不毛の地域」を通って結ばれるイメージだ。
重要な物事はこの土地の外側の「文明地域」からやってくると思われ、内陸世界そのものは「文明」とみなされてこなかった。
しかし近年、そうした風潮が見直され始めている。内陸地域に共通した諸要素や歴史展開が認識され、地域を総述しようとする試みがなされている。
中央ユーラシアは「草原とオアシス」という二大区分によって把握されている。これは「点と面」、「動くものと動かないもの」、「遊牧と農耕」といった二種類の生活形態を象徴する。
両者に共通するのは「乾燥」である。中央ユーラシアには草原、荒野、砂漠が広がっている。いずれも乾燥した地域で、山麓の湧水線などのオアシスを除けば、人間の定住は難しい地域である。農耕はもちろん、定住型の牧畜もまず不可能だ。
このような「不毛の大地」を生活圏としたのが遊牧民である。遊牧民の存在により、点在するオアシスが結び付けられた。
遊牧民という「面」と「移動」の中で生きる人々の存在によって、中央ユーラシアはひとつの「世界」となり得たのである。彼らがいなければ、ユーラシアと北アフリカという「陸の世界」はつながることはなかった。
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