他人のためにがんばれるのに、自分がしんどいことには目を向けられない人が少なくない。
たとえば小さい子どもや高齢者などのケアをしている人は、生活の中心がその相手になってしまいがちだ。しかし、ケアする側の人の生活や人生も大切であり、しんどいときは手を抜いたり、誰かを頼ったりしてもかまわない。
「会社のため」と仕事を頑張ってしまう人も同様だ。収入を得るために仕事は大切だが、自分がつぶれてしまったらもったいない。
他人が作った価値観やルールに合わせすぎて苦しくなってしまう人もいる。「正社員で働いたほうがいい」「子どものために我慢すべき」と言われ、「~すべき」「~するのが幸せ」といった考えにとらわれる。そうなると、自分の幸せが何かわからなくなってしまう。
人は、「誰か」の期待に応えるために生まれたのではない。もっと自分のために生きていいはずだ。自分のやりたいことをやり、自分が幸せと感じるものを大切にしよう。
そうは言っても、今まで誰かのためにやってきたことをいきなりやめるのは難しいだろう。少しだけ誰かのためにやっていることを減らし、自分のための時間を増やしてみよう。
疲れているときは、何をするのも大変だ。そんなときは、「がんばった」の定義を「今朝も起きられたから、えらい」くらいにしてみる。「今日は、何もできなかった」と自分を責めてみたくなっても、日常には大変なことがたくさんあって、それらをこなすことは決して当たり前ではない。
しんどいときは、歯磨きをしたこと、子どもを無事に学校に送り出せた自分を認めてあげる。無理してがんばったり、新しいことを始めたりしなくていいのだ。
とにかくまずは休もう。「幸せ」という感覚は、コンディションに左右される。疲れているときは、好きな物を食べても「おいしい」と感じなかったり、趣味の映画を観たくなったりもしない。
「うつ病」のような診断をされていなくても、しんどいのを我慢して仕事や家事をやっているといつかは破綻してしまう。そんなときは、休養がベストな選択だと自分に言い聞かせよう。
「うつ病」と「うつ状態」は異なる。「うつ病」は病院で診断される病名だ。一方「うつ状態」は、病名ではなく、気分が沈んでしんどい状態を指す。失恋やペットの死など、食欲がなくなるようなことは誰にでも起こる。そうして心にダメージを負ったら、食事と睡眠を十分にとり休むことで、心も体も整う。やがて幸せを感じられる心身を取り戻せるだろう。それは、しんどい出来事を受け入れるために必要な過程なのだ。
「自分の幸せ」は家族と過ごすことなのに、「社会の幸せ」のために外でバリバリ働く。海外を動き回ることが「自分の幸せ」なのに、「親の言う幸せ」に合わせて婚活をする。
「がんばっているのに、幸せになれない」と感じるのは、「自分の幸せ」が何かわかっていないことが原因かもしれない。その状態で他人や社会の幸せの基準に合わせていると「自分の幸せ」が逃げてしまうのだ。
3,400冊以上の要約が楽しめる