人間は過去・現在・未来の3つの時の中に生きている。仏教ではこの3つを「三世」と呼ぶ。過去の自分に執着しながら、未来への不安を抱え、今という時間を生きる。それが人生というものだ。
禅の世界には過去と未来は存在せず、あるのは「現在」という時間だけだ。「今」という一瞬をいかに生きるか。現在という時間に一生懸命向き合うその心のあり方こそ人生だと考えられている。
「而今(にこん)」という禅語は、「過ぎ去った時」「今という一瞬の時間は二度と帰ってこない」ことを表した言葉だ。過去にとらわれていても何も前には進まないし、起こってもいない未来を心配することは時間を無為に過ごすことと同じだ。人生の真実は「今」という時間の中にしかない。だからこそ、今を一生懸命生き切ることが禅の基本的な教えだ。
心のどこかで死を意識すれば、生きている時間を、今というこの一瞬を大事にしようと思うものだ。与えられた命を無駄にしないような生き方を心がけることが、人生を豊かにしてくれる。
人生には不安や心配事がつきものだ。心配事が常にあるのは人生では仕方のないことなのだから、必要以上に振り回されてはいけない。不安にばかり目をとらわれずに、距離をおいて眺めてみたほうがよい。
不安や心配は未来の中にある。どんな心配事も、それが過ぎ去った瞬間に薄らいだり、すっかり忘れてしまったりするものだ。たとえば、雨の中子どもを送り出した母親は、子どもが雨で転んだりしないか、風邪をひいたりしないかとあれこれ心配するかもしれない。だが、実際にはそうした心配事は実現しないことが多い。夕方に子どもが元気に帰ってくれば、朝の心配はすっかり消えてしまう。次の朝には気温が高くなりそうだからと、新たに熱中症の心配をしているかもしれない。人間の心とは面白いものだ。
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