ファンから著者に送られてくるメッセージには一定の傾向があり、著者はそこに時代の陰を感じ取る。「◯◯をしてしまう自分っておかしいですか」といった内容にはシリアスな哀切さがあり、それに返信しても一時的な満足を与えることしかできない。かれらは「脳(科学)に興味を持っている」のではなく、「自分の脳にだけ興味を持っている」のだ。「脳科学者として知られている人間に脳を含めた自分自身を肯定してほしい」という切実な承認欲求である。この欲求自体は自然なものだが、特に日本では、これをあからさまに表現することは歓迎されない。しかし、あなたが「そうしてしまう」のは脳のせいである。これは端的な事実だ。
ヒトは進化の過程で、他者に認められ、理解してもらう、つまり「承認」されると快感を得るようになった。それは、「社会生活への適応を促進する」ためだろう。承認欲求をこれほど強く持っている生物はヒトだけだ。他の生物は餌を探し、生殖活動にいそしむサイクルの中で一生を終える。ヒトはそれらの欲求が解決されると、自分はただ生命活動を維持するだけでない存在価値があると誰かに認めてもらいたいと思うものだ。著者は、自身にも承認欲求があることを認める。
以前、著者が結婚している身であることを知りながらアプローチしてくる男性がいたという。普通に連絡先を交換し、しばらくは礼儀正しいメッセージだったが、徐々に踏み込んだ内容のものを送ってくるようになり、最終的に、著者の心の隙を探り当てることに成功した。
相手のメッセージには繰り返し、人間は孤独であり、僕だけはその孤独を理解できる、というシンプルな内容が込められていた。自分が見ている赤が、他者が見ている赤と同じ色か誰にも証明できないように、脳という観点から見れば、人間は誰とも理解し合えない。だから、絶望的な孤独を感じているときに、その孤独を孤独のまま共有できる人が現れたら、究極の形で承認欲求が満たされるだろう。
次第に、相手のメッセージを心待ちにするようになった。これ以上自分を制御できなくなることを恐れ、著者は連絡先を削除し、端末ごと処分したという。
脳は不安感情を生み出すが、不安は生存のためにリスクを回避する機能としても役立ってきた。そのアンテナは、確実なリスクを検出できないと、リスクではなかったものまで拾ってしまうようだ。その機能が自分に向けられると、孤独感を生み出す。この空洞は自力ではどうにもならない。ただ、承認欲求もそこからくる不安も、生存のためにヒトが獲得したものなのであれば、むしろそれを利用したほうがよいのかもしれない。
誰もが認める「正しさ」という空気みたいな何かがあり、そこから逸脱した人を攻撃する「正しさハラスメント」のような行為が、最近目にとまるようになった。
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