ローマに住み始めて1年ほど経ったころ、著者は日本のCM撮影の通訳のアルバイトのためにリミニという街にいた。イタリア人と仕事をするのはほぼ初めてのことだ。
ローマで集合した日伊混合の撮影隊はミニバスに乗り込んでリミニに向かう。寛いだ雰囲気で、楽しいロケになりそうな予感でいっぱいだった。少なくとも現地に到着するまでは。
まず、現地に到着するのが予定時刻より1時間遅れた。さらに悪いことに、到着してから、依頼していた機材がそろっていないことがわかった。しかも、CMに出演するタレントのスケジュール上、なんとしても今日中に撮影を終えなければならない状況だった。
イタリア人の現場責任者は、機材の手配のためにあちこちへ電話をかけている。進捗を訪ねると、「手配はできたが、あと2時間かかる」という返事だ。
それをそのまま通訳すると、日本側は当然怒ってしまった。「何を言っているんだ。早くするように言ってくれ」と言うので、それをイタリア側に伝えると、「ないものはないんだから、何を言っても仕方ないよ。そんなにカリカリせずに待ちなさい」という返事だ。それを聞いた日本側はさらに怒りを募らせる。雰囲気は険悪になる一方だった。
右往左往する著者を見かねて、イタリア側のプロデューサーがこう話してくれた。「私たちのミスについて、いまここでいくら論じても何も生まない。この撮影は必ずやり終える。カリカリすればするほど雰囲気が悪くなって、撮影はうまくいかなくなるぞ。日本側にリラックスするよう伝えてくれ」
日本とは何もかも違うこの経験から、著者は3つのことを学んだ。
第一に、イタリアでは不測の事態が起こるのが普通であり、慌てる必要はまったくないということだ。
第二に、不測の事態に慌てるのではなく、解決策を見出すために全力を尽くすほうがよほど有意義であるということだ。イライラしても何も生まないばかりか、事態はむしろ悪化する。どっしり構えて、よい仕事をするために準備したほうがずっと建設的だ。
そして第三に、どんな不測の事態が起こっても、イタリア人は最後になんとかするということだ。子どものころから不測の事態に慣れきっているため、柔軟に対応する力が身についている。
イタリア人についてよく聞く苦情は、時間にルーズだというものだ。ただ実は、このルーズさにはイタリア人なりのロジックがある。
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