道に迷った経験がない人は、とても珍しいのではないだろうか。小さいとき、買い物をしていた両親とはぐれてしまったり、遠足のときに同級生たちと歩いていたはずなのに、いつの間にか違う場所へ迷い込んでしまったり、という経験が、だれしもあるのではないだろうか。
人間は、空や海の広さを理解し、高度な測定器で測って地図を作り、人工衛星を打ち上げて飛行機や自動車をナビゲートすることもできる。しかし、小さな森でいとも簡単に迷子になってしまう。あなたは、都会生活に慣れ過ぎた人間が、本来備わっていた方向感覚を失ったのだ、と想像するだろうか。しかし、じつは人間の方向感覚は、もともと他の動物に比べて未熟だということが、研究によって明らかになっている。
森に棲むクマは、何百キロも離れた自分の巣に戻ることができる。渡り鳥も、何千キロも離れた目的地へ旅をする。人間は、そうしたナビゲーション能力の秘密を探ることはできるけれども、近所でいとも簡単に迷ってしまう。
まずは、人間を含む生き物が、空間にまつわるどんな情報を得て、どのように道を探し出すのか、挙げてみたい。
位置を示す、という文字通りの意味の「ランドマーク」を使って、動物が自分の居場所を判断する研究を初めて行ったのが、ニコラス・ティンバーゲンだ。
ティンバーゲンが観察したジガバチは、地中の小さな巣に、幼虫に食べさせるための昆虫を運び込む。そのために、何度も出かけては戻り、見えにくい巣の入り口を探すことになる。
ティンバーゲンが、ハチの巣の周囲にあったものを動かしてしまったところ、戻ってきたハチは入口を見失ってしまった。さらに、巣の周囲のものをどけて、松ぼっくりで入口をぐるりと囲むと、ハチの混乱が収まったころに松ぼっくりを別の場所へ移した。戻ってきたハチは、移動させた松ぼっくりの輪の中心近くを飛んでいた。
昆虫の認知能力はたいへん高い。飛ぶ昆虫の類は、後で戻るつもりの場所を発つとき、その場所に顔を向けて、何度も下向きに弧を描いて飛行する。位置の周りにあるものをランドマークとして記憶するためだ。そして、その記憶をたよりに戻ってくる。
イヌイットたちも、ナビゲーションに関する卓越した能力を持っているが、彼らもランドマークを使っている。苛酷な土地で生き残るために、彼らは物体や景色を観察する能力を磨きあげた。
彼らの言語には、土地を説明する、方向性や大きさを含んだじつに豊かな語彙が使われている。また、炉辺で語られる一族の物語には、土地や、その景色のことが織り込まれている。言葉や物語という形で、位置を記憶するのだ。
また、イヌクシュクという大きなランドマークは、彼らがナビゲーション能力を発揮する際に欠かせないものだ。それは、人間の形をした石の建造物で、高台に建てられており、その腕が人の住むところや釣り場を示している。道しるべや、狩猟の助けになり、その像は離れたところに住む家族の象徴としての意味合いも持つ。本来は道を知るために作られたものだが、それ以上の文化的な役割を、イヌクシュクは背負っている。
オーストラリアの原住民アボリジニーも、生き抜くために、土地を記憶するための術を編み出していた。
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