本書を手に取られたのであれば、まず282ページを見てほしい。ここに本書の主人公であり、著者であるセドリック・ヴィラーニ氏とクレマン・ムオ氏が証明した新しい公式が記載されている。ここに記載されている文章と数式は、おそらく一般の方には理解し難いだろう。恥を隠さず言えば、本要約を書いている私も、数学者ではなく、この数式の意味や意義を理解するまでには至っていない。しかし、安心してほしい。この本を読むにあたって、数式自体を理解する必要はない。
数学者というと退廃的な、浮世離れした研究者というイメージが付きやすい。しかし、この本で描かれる数学者の日常は大変人間的なのである。皆さんもお気に入りのモノが何かないと、集中して作業ができないといった経験はないだろうか? これはセドリック氏も同じなようだ。問題にじっくり取り組む時間を確保し、さあこれからという時、お気に入りの紅茶を切らしていることが分かっても、通常であればあきらめるところだろう。しかしセドリック氏は深夜であっても、思索に必要な紅茶を取りに自転車を走らせ、研究機関まで取りに行ったというエピソードが描かれている。
また、新しく住み始めたプリストンでは、そのこだわりは日常の食事にまで及んでいた。「パリッとしたバゲットはプリンストンではほとんど期待ができない。」「生活必需品という意味でこの地に決定的に足りないものはチーズである。種類があまりに少ない」と、思わず本書内で愚痴をこぼすほどである。
また研究者といえども、仕事のポストに関してはサラリーマン同様、かなり気を使うものらしい。セドリック氏はフランスの数理科学研究所に匹敵する、アンリ・ポアンカレ研究所の理事会より、同研究所の所長に推薦されている。通常であれば喜んで拝受する所だが、セドリック氏はリヨン高等師範学校のラボ長のオファーを以前断っており、周りの同僚に「悪いように取られたくない」と考え保留したのだ。
しかし、噂は隠せぬもので同僚にあっという間に知られてしまうこととなる。結局はアンリ・ポアンカレ研究所に提示していた条件が全て受け入れられ、同研究所の所長に就任するのだが、この周りの反応を気遣いつつ、自身のポストを考慮する点は、実にサラリーマン的である。数学の研究者に対して多くの人が描くイメージと異なり、実に人間らしい生活を送っているらしいということが垣間見えるエピソードである。
本書でも取り上げられている、著者セドリック氏が「新しい定理」を発表した論文は彼だけではなく、クレマン・ムオ氏との共著であった。事の始まりは2008年3月、リヨン高等師範学校4階の研究室でおこった。著者はクレマン氏にこう切り出すのだ。「大それたことなのは百も承知で、また、あの長年の難題に取り組んでいるんだ。非一様ボルツマン方程式の解の連続性についてだよ」。
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