人間は、同じ種の中で遺伝的にまったくつながりのない構成員と、入念な作業分担を行う唯一の動物である。分業は、言語に匹敵するほど驚くべきヒトの特徴と言える。ほとんどの人間はいまや、日々の生活に必要なものの大半を他人から得ている。
たとえば、自分がシャツを買う予定など誰にも伝えていなくても、世界中から原料が集められ、いくつかの製造工程を経て、手元に届けられる。驚くべきことに、シャツを作るには克服すべき問題が多々存在し、その過程には多くの人が関わり、誰かが全体的な調整を行っているわけではないのに、世界中に何千ものスタイルのシャツが供給されているのだ。
本書はこのような「責任者なしの協力」を可能にしている人間の能力、そしてその利点と危険性について論じている。「責任者なしの協力」を可能としているのは「視野狭窄」だ。視野狭窄とは、現代社会の繁栄を創造するという巨大で複雑な事業の中で、全体的な成果を知らない、あるいは気にする必要がないまま、それぞれの役割を果たす能力のことを指す。
視野狭窄は狩猟採集民であった私たちの先祖にはなじみのない技能であり、新石器時代の農耕民族から現在までの1万年前後で発達してきたものだ。まずは、どのようにこの視野狭窄が進化してきたのかを考察していこう。
人類が多数で生活することによるメリットは3つある。1つはリスクを分担できること、もう1つは専業化が可能になったこと、3つ目は知識を蓄積できることである。
リスク分担のメリットは明らかだ。自然界や社会のリスクはみんなに同時にふりかかるわけではないので、大数によってこれを分担できる。チンパンジーがおおよそ60匹の集団で暮らすのに比べて、人類は徐々に集団の数を増やし、約450万年前に現れたアウストラロピテクスは80人程度、ネアンデルタール人は約140人の集団で暮らしていた。
血縁関係のない人が協力し、専業化が始まったのは人類がまだ狩猟採集社会を営んでいたときからだ。専業化のメリットについては現代のシャツ作りの過程においても見てとれる。シャツを最初から最後まで全てを一人で作ることは不可能ではない。しかし、綿を育て、糸を紡いで布を織るだけでなく、様々な工程で使用するすべての道具を作ることまで、実に広範囲の仕事を成し遂げなければならず、現実的とは言い難いだろう。ある仕事をするには自然の優位性があったり、技能習得が必要だったりするため、専業化が有効となるのである。
集団が大きくなるにつれ、専業化はますます進み、人類が農業を始めて定住するようになると、軍隊や司祭職が発達した。司祭職は読み書きの能力によって、先行する世代がもっていた技能の一部を現世代に伝え、利用できるようにした。
こうして分業をうまく機能させた人類はますます繁栄を促進していくのだが、人々が互いに信頼しあう社会の方が大きな利益を享受できると示すだけでは、見知らぬ相手を信頼することが合理的な行動であると判断するには不十分だ。
そもそも、類人猿も初期人類もすさまじい殺人傾向を持つ生物だった。人は互いに対してきわめて暴力的に行動するため、正気の人間が生来の気質だけで他人を信用することなどありえない。人が他人を信用するのは、そのような信頼判断が理にかなうような社会生活の仕組みを作り上げてきたからである。
そのためには2つの能力が必要だ。
3,400冊以上の要約が楽しめる