18世紀までのイギリスでは階級による生活水準の格差が激しく、最下層に位置づけられる人々は古代ローマの奴隷よりわずかにましな程度の暮らしをしていた。しかし、イギリスは貿易と産業革命によって空前の繁栄を迎え、19世紀末になると下層民の生活が大幅に改善された。そして、人間は意図、意志力、知識によって、自身の運命を変えることができるという考え方が生まれてきた。
この新しい考え方から派生したのが「新しい経済学」である。ジョン・メイナード・ケインズは経済学を「経済学的効率性、社会正義、そして個人の自由の同時的な実現」を達成する「道具」として位置づけた。
本書はこの考え方の担い手となった男女を登場人物として、「新しい経済学」が、第一次世界大戦前の資本主義の黄金時代に生まれ、2つの戦争と全体主義政権の台頭、大不況によって一時は瀕死の状態に置かれたが、第二次大戦後に復活を遂げた物語を記したものである。
1844年、23歳の若き革命家フリードリヒ・エンゲルスは、過激派の哲学雑誌の編集長をつとめる26歳のカール・マルクスと再会した。性格は対照的な2人だったが意気投合し、その後生涯にわたって盟友として活動することになる。
エンゲルスは速筆で、文章は流麗だった。著作『1844年のイギリスにおける労働者階級の状態』の草稿を、わずか12週間で書き上げ、その中で彼は、イギリスの労働者が常に飢餓と隣り合わせの生活を強いられており、工場主たちに対する暴動も飢えの産物であるという議論を展開した。同書の中で預言した経済危機、政治危機はほぼそのタイミングで現実のものとなり、売れ行きも好調だったという。
一方のマルクスは大変な遅筆で、「現代社会の運動法則」を解明すると約束した『資本論』が発表されたのは、エンゲルスに遅れること20年が経過してからのことであった。マルクスは、万国博覧会の開催にロンドンが沸き立っていた1851年の時点で、すでにイギリスが民衆反乱によって崩壊するという可能性を疑っていた。執筆中の『資本論』の中で、彼は私有財産制と自由競争の仕組みが機能せず、「革命が不可避である」ことを数学的な確かさをもって証明しようとした。
確かに彼は、労働者の生活水準が悲惨なほどに低いことを明らかにすることには成功した。だが、労働者の賃金が今後必然的に低下するという自説の根拠は、ついに提示することができなかったのである。マルクスは大英博物館の建物の外に出て、ロンドンの貧民街を実際に見たり、同時代の知識人たちと交流したりすることがなく、世界がマルクスとエンゲルスが予言した通りには動いていないことに気づかなかった。
有史以来、人間の物質的環境は基本的に変化のないままの状態が続いていた。ところが産業革命によって、2世代か3世代という短い期間に、ある国の富が何倍にも膨張するという事態が生じた。ついに人類は歴史の操縦桿を制するに至ったのである。
当時のヨーロッパには、自分たちの生きる時代の新しさを明確に認識していた者は、マルクスとエンゲルス以外にはほとんどいなかった。
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