「TikTok僧侶」「現代お坊さん」と名乗って活動している著者だが、幼い頃からお坊さんになりたかったわけではない。むしろ将来進むべき道が決まっていることに絶望を覚えていた。
それなのに今は、1年3カ月の修行を経て、僧侶としてTikTokで発信活動をしたり、イベントに出演したりしている。人生は諸行無常、どこでどうなるかわからないものだ。
大学卒業後、新卒入社したのは帝人株式会社(TEIJIN)だ。ヘルスケア部門に配属され、医療機器の営業に従事した。
入社3年ほど経った頃から、「僕が世のため人のためにできる仕事ってなんだろう」と考えるようになった。所長や同僚は「医療機器を通じて世の中をよくしたい」と真剣に考えているようだったが、著者は、自分がやるべき仕事は他にあるように感じていた。
やがて起業を検討するようになり、ビジネス書や哲学書を読みあさる中で、稲盛和夫さんの著書に出会った。稲盛さんの著書にたびたび登場したのは「利他の心」というキーワードだ。
利他は仏教の教えから生まれた言葉である。「僕が求めているものは意外と身近にあるのかもしれない」と気づいた瞬間だった。
新型コロナウイルスが流行する中、著者はこう考えた。医療のプロではない自分にできることはないのだから、右往左往しても仕方がない。アフターコロナの世界で、少しでも世のため人のためになることをしよう――。2021年2月、曹洞宗大本山永平寺に上山して、1年3カ月の修行に入った。
修行を経て気づいたのは「僕は僕のままでいいのだ」ということだ。何者かになる必要はない。僕は僕のまま生きていていい。そう思えるようになった。また、競争や他人との比較も、成長に繋がるのであれば必ずしも悪ではないととらえるようになった。
ただし、自分を評価するのは自分だ。A評価がほしいなら、自分で自分にA評価を出してあげればいい。修行を通してそんな気づきを得て、ずいぶん生きやすくなった。
「長くて、つまらなくて、難しい」といわれる仏教の教えを「短く、楽しく、わかりやすく」伝えたい。そう考えて始めたのがTikTokだった。TikTokでは、仏教について話したり、キャバクラ嬢と対談したり、ラップをしたりしている。
そんな著者の様子を見た人から「お坊さんらしくない!」という声があがることがある。その人たちにとってのお坊さんらしさとは、お寺で法事をしたり葬儀場でお経を読んだりすることなのだろう。確かにそれらは僧侶の大事な仕事だが、お坊さんの本来の役割は、人々の苦しみや悩みに寄り添い、仏教の法話を通して、生きていることの尊さを感じてもらうことだ。
僧侶本人が一生懸命生きていないと衆生(しゅじょう:人間をはじめとする命あるものすべて)を救う話や行いはできない。だから著者は「職業・僧侶」ではなく「生き方・僧侶」を目指し、お寺の外にも活動や経済の基盤を持つ人でありたいと思っている。
修行の最後の半年は、「承陽殿(しょうようでん)」という神聖な場所を管理し、お護りする仕事に配属された。人の出入りが少なく、大きな変化のない場所だ。
それでも、半年間毎日同じ場所を同じように掃除していると、小さな移ろいを感じるようになった。吹き抜ける風が温かくなった、雑草が生えた、木に新芽が芽吹いた、美しく咲いていた花が散っていった……。日々のささやかな変化を感じて、そのすべてが愛おしくなった。
そして、ある日ハッと気づいた。「ご縁」とはこういうものなのだ、と。
縁は特別なものではなく、この世のあらゆるところに存在している。でも「ここに素敵な出会いがありますよ!」なんて、大きな声で知らせてはくれない。縁は、その存在や尊さに気づく人にだけ訪れるのだ。
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