そもそも、お金とはなんだろうか。お金とは、ものの「価値」を仮に数字にしたものであり、それ以上でも以下でもない。お金ができる前から、世の中にあるもの、物品や作業の結果などにそれぞれには「価値」があった。お金はそれを交換するための媒介にすぎないのである。
当たり前のように思われるかもしれないが、ある商品を買おうか迷っているときには、こうした認識が必要になる。五千円のバッグがあったとして、その金額はバッグそのものの価値ではない。ついている値段は、売りたい側が決めた数字にすぎない。買う側は、自分にとっての価値をそこに見出そうとする。あらゆるものは、使ってみなければ本当の価値はわからない。宣伝されている情報だけでは十分でないはずである。私たちは自分がそれを手に取ったときにどうなるかをイメージして、その価値を推測する。
このとき、本来は自分自身の満足度こそが価値となるはずだ。しかしその品物を自分が持ったときに、自分ではなく他者がどう感じるかという妄想から価値を考えてしまうことがある。他人を羨ましがらせるためにお金を使うことに、果たしてどれほどの意味があるだろうか。お金を使って手に入れる価値とは、結局は自分の欲求を満たすことのはずだ。
「お金」や「時間」がないからやりたいことができないと言う人はよくいる。しかし、そういう人は実は自分のやりたいことがわかっていない場合が非常に多い。本当にやりたいことがある人は、「時間」も「お金」もなんとか工面してしまうものだ。
自分の好きなことをしている人は、自由人のように見えがちだ。時間とお金が潤沢にあるから好きなことができると思うかもしれないが、その逆だ。かなり苦労して時間やお金を生み出している。
お金は目的ではない。目的を達成するための手段としてお金がある。多額のお金を持っているだけでは、なにも良いことはない。そのお金を欲しいもの、やりたいことと交換してはじめて、価値が生まれるのだ。言い換えれば、お金は失ってはじめて価値が生まれるといえる。
自分の好きなことがやりたいからこそ、人はお金を減らす。お金が溜まったというのは、一時的な仮の状態にすぎない。お金はたくさんあったほうがよいことに間違いはないが、それはより大きく減らすことが可能になるからなのである。
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