野球は、じつに効率の悪いスポーツである。野球で1つのチームをつくるためには、投手・捕手、内野手、外野手の最低9人が必要だ。しかし、守備のときに活躍するのは、ほとんど投手と捕手だけであり、逆にその他の選手は、自分の近くにボールが飛んで来ないかぎり、動く必要すらない。また、攻撃に回ると、3アウトを取られるまでは、原則的にいつまでも攻撃を続けてよいことになっている。
しかし、甲子園などの高校野球の大会ではトーナメント制が採用されているため、引き分けが存在しない。つまり、試合の決着が決まるまで、試合は続くことになる。早く試合を終わらせたいのであれば、交代の時間を短縮したり、なるべく早く打席に立ったりしたりなど、試合の進行を早くするほかないのである。
野球は、試合以外においても非効率的なスポーツだといえる。学校側にとっても生徒側にとっても、野球をするためには高いコストを払う必要があるからだ。
学校側が抱える主なコストは、野球用グラウンドの確保である。野球をするためには、サッカーの約2倍の広さのグランドが必要だ。また、高校野球で使用される硬球は固すぎるうえに遠くに飛びやすいため、安全面を考慮すると、他の部活と分割してグラウンドを使用することもできない。
さらに、生徒側も、野球をするために、さまざまな道具を揃えなければならない。ヘルメット、グローブ、金属バット、靴、試合用ユニフォームなどをすべて揃えると、費用はバカにならないものになってくる。くわえて、遠征費にもお金がかかる。すべてを含めると、保護者は授業料の他に、年間約23万円の費用を払わなければならないという計算になる。
高校野球、つまり日本高野連に所属している高校の野球部は、「平和で民主的な人類社会の形成者として必要な資質を備えた人間の育成を目的」とし、野球を「人間形成を行う場所」として位置づけている。学力試験によって入学を許可するように、野球の能力にもとづいて入学させることができるのも、高校野球が「教育の一環」と見なされているからだ。
一方、教育という現場である以上、学校側は生徒の希望をきちんと聞き入れる必要がでてくる。たとえば、一般入試で入学した学生が、野球部への入部を希望した場合、それを排除することはできない。その結果、野球部の人数が必要以上に多くなってしまい、効率的な練習が行えない高校も出てきている。
日本の高校野球の別の大きな特徴として、商業性の排除にも注目しておきたい。「日本学生野球憲章」によれば、高校野球は「経済的な対価を求めず、心と身体を鍛える場」であり、「学生野球、野球部または部員を政治的あるいは商業的に利用しない」とされている。そのため、人気のありそうな強豪校同士の試合を企画しチケット販売したり、注目選手がコマーシャルに出て企業からお金をもらったり、ユニフォームに企業名を入れて企業から広告料をもらうことは全面的に禁止だ。
しかし、私立学校が「教育上の目的」という名目のもと、野球部に力を入れ、甲子園に出場させることで、学校経営に役立てているというのもまた事実である。
高校野球の魅力の1つに、「高校生らしさ」というものがある。トーナメント方式の採用、2時間以内での試合進行、そして甲子園という舞台――これらがうまく組み合わさって「高校生らしさ」が演出され、人気を博しているというわけだ。
高校野球では、ある一部の地方大会を除いて、トーナメント方式が採用されている。
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